Alien執筆言い訳日記(ブログ的な何か)
11月10日 下らないと思える幸せ



 以前よく交流していた知り合いの文章をたまたま目にして、その当時は「もののあわれ」のようなものを感じていたが、今読むと「100年経っても変わらない愚痴」に、あぁ…これなんだか下らない…と思えた。

 他人の苦痛や悲しみを感じるより先に、フツーに「下らない」と思えるようになった自分がなぜだか成長したなという感じがする。好きとか嫌いとかいう感覚をあまり研ぎ澄まさずに来たおかげで、漫然と無意識に気に入らないと思っていることに素直じゃなかったりしていた。残念ながらもうそういう曖昧な良い人モードが本気で終わりを告げに掛かっている。まぁ、良いことなんじゃないかな。

 うざい、とか、キモい、という感覚も最近は会得しつつある。プライベートと仕事のモードがごっちゃになってたりしたのも、同じ原因じゃないかな。感性を研ぎ澄ませていくと、自分の嗜好の幅は結構狭いことがわかってくる。広そうに見えたのは感覚を曖昧なまま育ち切らせていなかったことに起因してたりするわけだ。なにかを排除することが「悪」みたいな姿勢は役に立たないでもないが、使うシーンは考えなければならないと思った。嫌いなものを素直に排除する誠実さ、そういうモードをこれまでの寛容モードと並列で使えるようにしておく。自分も他人も欺かない。でも、ただ素直なだけでは無駄にことが荒立つ。荒立つことも必要な場合もあるが、不必要であれば冷静さと対応が要るだろう。

 なにが最善なんて、その時にはわからないんだけどね。





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