Alien執筆言い訳日記(ブログ的な何か)
10月11日 嗅覚がなくなる体験
風邪をこじらせてまだ完治していない。途中の経過で、嗅覚が完全に無くなるという体験をした。
もともと、嗅覚はわりと敏感で、それで紅茶なんかにハマってるわけだが、それが一切無くなる。鼻水は出るが、それほど鼻が詰まってるわけではない。だが臭いにつれて味もかなり分からなくなる。これで料理を作るのはなかなかのご修行である。
良い匂いもないが、悪い臭いもしない。無臭である。神経が働いてないんだから、匂いを感じることがない。
これは、良い匂いに対する執着さえなければ、ある種の解放である。
折しも我が家のマンションが、ただいま絶賛塗装工事中である。塗料の有機溶剤の臭いがたまらない…らしい。だが、それもほぼわからないほどの嗅覚麻痺。帰宅した旦那が家の中が溶剤臭くて驚いていた。臭いがしないから、私が窓を開けていたためである。この一件で、私がその2~3日言っていた「臭いがしなーい」という状態のひどさが分かってもらえたらしい。
「頭が痛くなる」と旦那が言うほどの溶剤の揮発臭。だが、臭わない私は頭が痛くなることはなかった。普段なら私はこの臭いはとても不得意で、旦那より先に気分が悪くなっているはずなんだが…。
プラセボ?
そうだとしたら笑える。
そうでないとしたら、危険地帯をアラームなしで生きることになる。
痛みを感じない病気があるが、その罹患者は寿命が短いらしい。だが、命に執着がなければ、それもある種の解放である。
無臭の世界は不安ではあったが、透明な感覚があった。クリアで何かから解き放たれていた。だからといって、嗅覚が80%ほど戻ってきた現在、無臭に戻りたいとも思わないが。だが、香りが二度と戻らないことになって、これも運命だと諦めがついたなら、その透明な感覚はひとつの平穏を示唆するなにかだとは感じる。悪臭も芳香も執着と忌避に誘う。その刺激と生々しさ。うんざりするほど感じる感性があれば、透明な無臭も無臭という香りがするような気さえする。