白日夢
陣は先ほど書店で買ってきた一冊の本をさしだしてそれに答えた。
『ジャン=ポール・ドゴール、自らを語る』というハードカバーのその本は三千八百円もする、分厚い本で陣を始めとする映画関係者で知らない物はいないという位有名な映画監督の自叙伝だった。その監督は、ヌーベルバーグのヴァンゴッホと呼ばれた人物で、ゴダールやトリュフォーらと共に映画界を映画界に大きな波を起こした。ヌーベルバーグとは千九百五十年代後半にフランスの青年映画監督達が、旧来の映画作法に捕らわれない個性的な映画を次々と発表した、いわば映画界の流行というか現象の呼び名である。
ところで、なぜ、J・P・ドゴールがヌーベルバーグのヴァンゴッホなのかというと、端的に言えば彼の右耳が切り落とされているからだ。何故彼の耳が無いかという詳しい理由は一般的には公表されておらず、分かっているのは三十数年前に初来日した五日間の間に耳が無くなったと言うことだけだ。そう、彼の耳は日本で無くなったのだ。
「もうすぐ来日するんだろう。」
樋口は受け取った本をペラペラとめくりながら、言った。
「そうそう。とうとう因縁の地、日本列島に足を踏み入れるんだよ、あのドゴールが。それにしても、どんな心境なのかな。右耳を失った地に再び来訪するなんて。未だに何故耳がなくなったか——という問いの答えを公表してないからね。自分で切ったのか、それとも切られたのか、それすらも我々一般人には実に気になるところだがね。あ、言っておくけどその分厚い本には、答えは載ってないよ。」
陣はそういって、樋口の読んでいる本を指した。
「まあ、俺としてはな。答えをとく鍵は、『果てより』ていうドゴールが初来日した時分に公開された映画のなかにあると思っている。」
陣はそう言うと、胸ポケットからネイティブアメリカンが描かれた黄色い煙草の箱を取り出し、その中から二本煙草を抜き取ると片方を樋口に差出し、もう片方を咥えた。樋口はそれを受け取り、応接間の細長いテーブルの上に無造作に転がっていたライターで火を点け、一服した。
『ジャン=ポール・ドゴール、自らを語る』というハードカバーのその本は三千八百円もする、分厚い本で陣を始めとする映画関係者で知らない物はいないという位有名な映画監督の自叙伝だった。その監督は、ヌーベルバーグのヴァンゴッホと呼ばれた人物で、ゴダールやトリュフォーらと共に映画界を映画界に大きな波を起こした。ヌーベルバーグとは千九百五十年代後半にフランスの青年映画監督達が、旧来の映画作法に捕らわれない個性的な映画を次々と発表した、いわば映画界の流行というか現象の呼び名である。
ところで、なぜ、J・P・ドゴールがヌーベルバーグのヴァンゴッホなのかというと、端的に言えば彼の右耳が切り落とされているからだ。何故彼の耳が無いかという詳しい理由は一般的には公表されておらず、分かっているのは三十数年前に初来日した五日間の間に耳が無くなったと言うことだけだ。そう、彼の耳は日本で無くなったのだ。
「もうすぐ来日するんだろう。」
樋口は受け取った本をペラペラとめくりながら、言った。
「そうそう。とうとう因縁の地、日本列島に足を踏み入れるんだよ、あのドゴールが。それにしても、どんな心境なのかな。右耳を失った地に再び来訪するなんて。未だに何故耳がなくなったか——という問いの答えを公表してないからね。自分で切ったのか、それとも切られたのか、それすらも我々一般人には実に気になるところだがね。あ、言っておくけどその分厚い本には、答えは載ってないよ。」
陣はそういって、樋口の読んでいる本を指した。
「まあ、俺としてはな。答えをとく鍵は、『果てより』ていうドゴールが初来日した時分に公開された映画のなかにあると思っている。」
陣はそう言うと、胸ポケットからネイティブアメリカンが描かれた黄色い煙草の箱を取り出し、その中から二本煙草を抜き取ると片方を樋口に差出し、もう片方を咥えた。樋口はそれを受け取り、応接間の細長いテーブルの上に無造作に転がっていたライターで火を点け、一服した。