白日夢
 和久井の演説が陣には少し気に入らなかった。
「では、ゴダール以前はどうなるんだ。ゴダールが影響を受けた物は?」
「いい質問だ。正直言ってそれらは言ってしまえば蝶になる前のサナギ又は幼虫なのだ。つまり、ボブ・ディラン以前のロック界がロックンロールではあるがロックではなかったというように。」
「まあ、僕も少なからず・・・否、非常に多くの部分で彼の映画に影響を受けている訳さ。勿論君にだってそう言う部分はあるだろう。」
「まあ、否定はしない。でも、ドゴールの映画の影響を受けないで良い作品を取っている奴もいるだろう。」
 陣は幾つか例をあげた。多くはアメリカの大作映画の監督であった。
「ふふん。僕に言わせれば彼等のは映画では無いね。彼等のは、ロックに対する産業ポップス、ボクシングに対するプロレス、小説に対する漫画。すなわち、彼等の作品は単なるショウ、見世物なんだ。そこからは“楽しさ”以外の何も得られない。しかし、僕らを含めたドゴールの子供たちは違う。映画を作る事で問題提起を促し、観客から何かを引き出そうとする。それは哲学や思想であったり、あるいは現実や真実であったりする。」
 ドゴールの子供たちとはドゴールに影響を受けた映像関係者の事だ。しかし、陣はドゴールシンパになったつもりは無いし、また和久井の言っている事が正しいとは思えなかった。
「漫画やプロレス、産業ポップスにだって人に何か提示することは出来るぞ。それを否定することは不可能な筈だ。第一にそれは受ける側の問題であって、与える側の問題ではない。確かにお前が言うようにロックや小説の多くまたはドゴールの映画、は分かりやすい。といっても、内容が解り易いと言っているわけではないぞ。彼等が何かを主張したいと言う事が解り易いという意味だ。だって、歌詞に政治的な内容を盛り込めば直ぐに高尚だって事になるし、難解な映画はインテリだけが生きる価値があると思っている選民思想の評論家達が自分らのインテリジェンスの高さを示すためには、内容を色々と勝手に思案し解釈して発表する事は、非常に役立つだろう。内容が単純だったら、“誰でも解るよ”って事になりかねないからな。だから、評論家たちはこぞって難解な物を褒めたがる。そしてそれを見越して作る側も作為的に難解な物を作る。」
 
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