白日夢
樋口友蔵はM市の住宅街に聞き込みに行っていた。勿論溝島明の件である。溝島明の本名は北条明という。生まれは鹿児島で、父親は戦争で死んでいる。兄弟は皆すでにこの世を去っているようだ60年代末期からフランスへ留学している。その前に学生運動に関わっていたという噂もあるがその辺はあやふやで、詳しいことは誰も知らない。記録では、子供はいないということになっているが、妻・雅美が言うには、フランス留学時代に子供が生まれているらしい。本人に聞けば早いのだが、確証が出るまでは話せないという雅美の要望があるから、それは無理だ。遺産相続に関することなのだろう。溝島明もだいぶ隊長がよくないといううわさは聞いたことがある。樋口は、雅美のことを遺産目当てで結婚した女だと決め付けている。陣に言ったとおりそれが悪いことだとは思わない。ただ、仮にその隠し子が実在し、遺産を要求してきたら雅美はどうするのだろうか。まあ、結局他人のことだ。俺が気にしても始まるまいと樋口は思った。

帰り際、昔からある煙草屋によった。不景気で雑貨屋を兼務しているのだが、近所にできたコンビニのせいで儲からないらしい。昔は外に面した小さな売り場があったのだが、今ではそこは閉められ、改装したそっけない店内へ入らなければならない。外にはくすんだ文字で「内野煙草店」と書かれている。
樋口が店に入ると、レジにいた女の子が手を振った。この内野煙草店の看板娘理沙である。理沙は青いティーシャツによれよれのジャージを着用していた。髪は寝癖が立っている。化粧は勿論していない。どうやら今日は大学がなかったらしい。
「あ、トモさん。」
「よお、久し振り。いつものを一カートンちょーだい。」
 理沙ははいはいと、ハイを二度言ってから奥に行って、日本製の青いカートンを持ってきた。
「三千円になります。」
 樋口は財布から五千円札を取り出して、理佐に差し出した。
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