白日夢

2.坂であった女優

 はじめてその映画を見た時、村下陣は近代科学の尖端がつくる一種妖異な雰囲気がスクリーン中を幽霊のように彷徨っている様な不思議な感覚に襲われた。
「いったい何なのだ?」
 正直な話、この海外で高い評価を得た古い映画の本質的な部分を理解できた人間など、この広い世界に一体全体何人いるのか、本人以外はまるで理解できないのだはないだろうか。仮に出来る人がいたとしてもほんの一握りだろう。そして少なくとも自分はその中には入らないのは確かなようだ。
 村下陣はこれでも、脚本家である。昨年に映画化された脚本となった『ロメオの灰』は一部の人間にカルトな人気を誇ったものの興行としては惨敗、映画評論家の多くは観ても無いという状態だった。それっきり仕事は無い。アレからもう半年は経過している。このまま忘れられた存在となるのだろうか、と何時も不安に思っているのは案外陣自身ではなく周りの人間だったりする。もっとも、当の本人は“何処吹く風”といった調子で毎日自堕落に暮らし、名画座に入り浸っていた。       
 そして今日、イタリアの大きな映画祭で遠い昔に、そして日本映画としては唯一最優秀作品賞を受賞した映画である、溝島明第三回監督作『白日夢』を観ていたというわけだ。
 難解な映画を見終わった後のコンクリートを飲んだような不快で重たい気分を引きずりながら陣は行きつけの飲み屋へ行った。
「何だよ。今日は水曜日か。」
 店先で陣はぼやいた。水曜日は居酒屋『すぴりっつ』の定休日なのだ。仕方なく踵を返し、陣は居候先である田口探偵事務所のある無限坂の方へ足を向けた。だいたいあまだ日が高い。こんな時間から飲んでるのは失業者か、暇な脚本家くらいのものだろう。帰れば麦酒の一缶や二缶、冷蔵庫のなかにあるだろうと陣は考えた。そうするといつもは憂鬱になるだらだらと長いこの無限坂も麦酒を美味しく飲む為の気軽な運動になるような気がして足が軽くなった。
 しかしながら、そう思ったのは初めだけだった。この妙に長い坂の中腹辺りで陣は力尽きた。額には汗が滲んでいる。
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