白日夢
橋の上から見下ろす川は酷く澄んでいて、陣という煤まみれの人格を洗い流し、この恐ろしい地獄から救い出してくれる蜘蛛の糸のように陣には思えた。
飛び込め、と頭の中でもう一人の自分が怒声を上げている。陣は柵に手をかけた。これで全ては還元されると、陣は本気で思っていた。
「ねえ、知ってる」と陣の後ろを通り過ぎていく一組のアベックの片割れの女が言った。「ここって映画の撮影に使われたんだよ」
「なんていう映画?」と男が答えた。
「何だっけ?神階何ちゃらが出てた何とかの街とか言う映画」
 不意に後ろを通り去る一組のアベックの他愛も無い言葉に陣は惹かれた。陣は、そんな今から死を望もうという人間には何の関係も無いような些細な疑問が酷く気になった。数十分の間、思案を続けていたがとうとう我慢が限界に達した陣は、取り敢えず確認してから死のうと結論した。
 橋の端へ行くと、何故だか色んな欲が出始めた。折角今まで遊ぶ事もせず、家と職場を行ったり来たりする生活を過ごしてきたのに稼いできた金をほとんど郵便貯金に預けたままにしても良いのだろうか——否、どうせ死ぬんだからパアッと使い切ってしまおう、と陣は考えた。
 そして、貯金を下ろし、向かった先が映画館だった。数件の映画館を周り、神階何某の出ている何とかの街を探した。幾つもまわった物のなかなか見つからなかった。ようやく見つかったのは、街の片隅にひっそりと立っていた小さな名画座だった。 
その映画を見た時の衝撃は凄まじかった。何て美しい女性がいるのだろうか、なんて切ない映画なのだろうか、俺もこんな映画を作りたい、そしてこんな美しい女優をフィルムに焼き付けたい、と陣は思った。
 そして、映画が終るや否や陣は書店へ行くと映画関連の書籍を買いあさり、家にこもってそれを読み込んだ。
 
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