震災弁当!
プロローグ
3月11日
東日本大震災が発生。
私は仙台で被災しました。
いつものように彼にお弁当を作り
いつものように送り出し
いつものように私も出勤しました。
何も変わらない一日が始まり、何も変わらずに過ぎてゆく筈だったのに。
あの日、あの時から
世界の全てが変わってしまいました。
電気が復旧するまで4日。
夜になると、仙台港で燃えている石油コンビナートの火が
明かりひとつ無い真っ暗な空に赤く映っていました。
サイレンは鳴り止まず、ヘリコプターが昼夜問わず空を飛び、
余震は激しく、寒く、ひもじく・・・
夜はこんなにも長いものだったのかと、感じていました。
彼の仕事は公共性が高く、震災翌日からほとんど休みなく
仕事に出なければいけませんでした。
しかし、当然のことながらどの店もあいておらず、会社の食堂なども
まったく機能しておらず、飲み物一つを自販機で買うことすらできない状態です。
電気が復旧した日から
ガスが復旧するまでの約一ヶ月間。彼のためにお弁当を作り続けました。
こんな状況の中でも、働かなくてはいけない彼には、せめてどうしてもちゃんとご飯を食べてもらいたかった。
こんなときだからこそ「食べる」という行為をおろそかにしたくなかった。
冷蔵庫に残っていたもので、使えるものを全てつかいました。
足りなくなってゆく食材を求めて、あちらこちらへと自転車で
買出しにも行きました。
使用できた調理器具は、カセットガスコンロひとつと、電磁調理器。
電気が復旧していたので、炊飯器とコーヒーメーカーも。
東日本大震災が発生。
私は仙台で被災しました。
いつものように彼にお弁当を作り
いつものように送り出し
いつものように私も出勤しました。
何も変わらない一日が始まり、何も変わらずに過ぎてゆく筈だったのに。
あの日、あの時から
世界の全てが変わってしまいました。
電気が復旧するまで4日。
夜になると、仙台港で燃えている石油コンビナートの火が
明かりひとつ無い真っ暗な空に赤く映っていました。
サイレンは鳴り止まず、ヘリコプターが昼夜問わず空を飛び、
余震は激しく、寒く、ひもじく・・・
夜はこんなにも長いものだったのかと、感じていました。
彼の仕事は公共性が高く、震災翌日からほとんど休みなく
仕事に出なければいけませんでした。
しかし、当然のことながらどの店もあいておらず、会社の食堂なども
まったく機能しておらず、飲み物一つを自販機で買うことすらできない状態です。
電気が復旧した日から
ガスが復旧するまでの約一ヶ月間。彼のためにお弁当を作り続けました。
こんな状況の中でも、働かなくてはいけない彼には、せめてどうしてもちゃんとご飯を食べてもらいたかった。
こんなときだからこそ「食べる」という行為をおろそかにしたくなかった。
冷蔵庫に残っていたもので、使えるものを全てつかいました。
足りなくなってゆく食材を求めて、あちらこちらへと自転車で
買出しにも行きました。
使用できた調理器具は、カセットガスコンロひとつと、電磁調理器。
電気が復旧していたので、炊飯器とコーヒーメーカーも。