犬と猫…ときどき、君

目の前で見開かれるその瞳は、やっぱり凄く綺麗で、思わず指を伸ばしてしまいたくなる。


「ずっと言えなくて、春希にも嫌な思いさせたよね?……ごめんね」

少しだけ笑う私の目の前で、春希の表情が小さく歪んで、大好きだったその綺麗な指先が、私の頬に伸ばされる。


“最後に一度だけ、触れて欲しい”


一瞬浮かんだその考えを、私はすぐに打ち消して……。

声が震えないように、お腹に力を入れた。


「松元さんと、付き合ってるんでしょう?」

「……っ」

「よかったね」

「胡桃」


――やめてよ。


「胡桃って……呼ばないで」

お願いだから、

「もう一生、“くるみ”なんて呼ばないで」

これ以上、私を苦しめないで。


「旅行はキャンセルしたから。……勝手に、ごめんね」

春希の瞳が小さく揺れているのが、ここからでもわかる。


「じゃー……行くね。荷物は全部、送るから」


無理やり笑顔を作った私に、春希は一瞬その視線を下に落として、

「春希?」

最後に一度だけ呼んだ名前に、顔を上げた。


「ずっと一緒にいてくれて、ありがとう」

もうこれ以上、一緒にはいられないし、いちゃいけない。

最後までこんなに素っ気ない態度を取って、私はやっぱり、可愛くない女だよね。


静かに息を吐き出しながら振り返って、足を踏み出す。

“泣くな、泣くな”――そう自分に言い聞かせながら。


それなのに。


「胡桃っ!!」

振り向けないでいる私の腕を、春希が掴んだ。


「……」

春希。
私、もうよくわからないよ。

春希が好きなのは、誰?

松元さんでしょう?


そうだとしたら……。


「……しないで」

「え?」

「もう私に優しくなんかしないでっ!!」


もう、放っておいて。

お願いだから、構わないで。


「胡桃……っ! ちゃんと話させろよ!!」

私の腕を掴んだまま上げられた春希の大きな声に、周りにいる学生達が何事かと振り返る。


「――っ」

ダメ。
春希、ダメだよ。


「“みんな”が……見てる!!」

「……胡桃?」

「ごめんなさい」

一瞬力が緩んだ春希の手を、私は思い切り振り払って駆け出した。



< 176 / 651 >

この作品をシェア

pagetop