犬と猫…ときどき、君


「すぐ近くで胡桃の香りがして、夢だと思って」

「……」

「寝ぼけながら、手ぇ伸ばしたんだよ」

「ハルキ……」

「そしたら、ホントに胡桃いてさ」


また自嘲的に笑った俺に、今度は泣きそうな表情を浮かべるコイツは、本当に感情が豊かというか、何というか。


「夢じゃないって途中で気付いたくせに、止められなかった」


でも、俺ももう限界に近かった。

堰を切ったように零れ出した言葉は、なかなか止める事が出来なくて……。


「胡桃に、キスしたんだ」

「……え?」

「何してんだろーな、俺」


恥ずかしげもなく声を震わせて顔を伏せた俺は、今、篠崎の目にどう映ってる?


「だったら、どうしてあの時、司ちゃんに芹沢を追わせた?」

俯く俺の頭上から、ポツリと落とされた篠崎の言葉は、花火の時のことを言っているんだろう。


「お前、一回あの女の腕振り払って、芹沢追いかけようとしたじゃねーかよ!!」


仲野と話したあと、様子のおかしくなった胡桃を、俺は追いかけようとしたんだ。


――だけど、ダメなんだ。


「俺じゃダメなんだよ」

「だったら、中途半端な事すんなよ……」


絞り出したような篠崎の一言に、俺はなにも言葉を返すことが出来なかった。


篠崎の言っている事は正しくて、結局こうやっていつまでも胡桃を傷付けているのは俺。


「時々さ、全部ぶっ壊したくなる」

必死に抑え続けている感情は、だんだん綻《ほころ》び始めていて……。


「昔の事も、今の事も、全部胡桃にぶちまけたくなる」

胡桃がいればいいやなんて、現実離れしたことを考えたりするんだ。


小さく笑った俺を見て、篠崎はまた痛そうな顔をする。


「大丈夫だって」

「……」

「まだ耐えられる」


そう言って立ち上がった俺は、まだ何か言いたげな篠崎をその場に残して、バスルームに向かう。


さっきから頭がガンガンして、判断力が鈍ってる。

だから、考える事すべてが、逃げ出すことばっかりで。


ベタつく服を脱ぎ捨てて、冷たいシャワーを頭からかぶる。


「はぁー……」


ずっと、胡桃の感触が体から離れない。

握った指先も、指をからめた髪の毛も、引き寄せた首筋の体温も。

昔と変わらない、少し冷たい唇も。


「何で、胡桃じゃないとダメなんだろうな……」


他のヤツを好きなれたら、どんなに楽だろうってそう思うのに、そうしたいとは思えなくて。


卑怯な俺は、胡桃が誰かを選ぶ日を、怖いと思いながらも待っているんだ。


< 433 / 651 >

この作品をシェア

pagetop