犬と猫…ときどき、君
「すぐ近くで胡桃の香りがして、夢だと思って」
「……」
「寝ぼけながら、手ぇ伸ばしたんだよ」
「ハルキ……」
「そしたら、ホントに胡桃いてさ」
また自嘲的に笑った俺に、今度は泣きそうな表情を浮かべるコイツは、本当に感情が豊かというか、何というか。
「夢じゃないって途中で気付いたくせに、止められなかった」
でも、俺ももう限界に近かった。
堰を切ったように零れ出した言葉は、なかなか止める事が出来なくて……。
「胡桃に、キスしたんだ」
「……え?」
「何してんだろーな、俺」
恥ずかしげもなく声を震わせて顔を伏せた俺は、今、篠崎の目にどう映ってる?
「だったら、どうしてあの時、司ちゃんに芹沢を追わせた?」
俯く俺の頭上から、ポツリと落とされた篠崎の言葉は、花火の時のことを言っているんだろう。
「お前、一回あの女の腕振り払って、芹沢追いかけようとしたじゃねーかよ!!」
仲野と話したあと、様子のおかしくなった胡桃を、俺は追いかけようとしたんだ。
――だけど、ダメなんだ。
「俺じゃダメなんだよ」
「だったら、中途半端な事すんなよ……」
絞り出したような篠崎の一言に、俺はなにも言葉を返すことが出来なかった。
篠崎の言っている事は正しくて、結局こうやっていつまでも胡桃を傷付けているのは俺。
「時々さ、全部ぶっ壊したくなる」
必死に抑え続けている感情は、だんだん綻《ほころ》び始めていて……。
「昔の事も、今の事も、全部胡桃にぶちまけたくなる」
胡桃がいればいいやなんて、現実離れしたことを考えたりするんだ。
小さく笑った俺を見て、篠崎はまた痛そうな顔をする。
「大丈夫だって」
「……」
「まだ耐えられる」
そう言って立ち上がった俺は、まだ何か言いたげな篠崎をその場に残して、バスルームに向かう。
さっきから頭がガンガンして、判断力が鈍ってる。
だから、考える事すべてが、逃げ出すことばっかりで。
ベタつく服を脱ぎ捨てて、冷たいシャワーを頭からかぶる。
「はぁー……」
ずっと、胡桃の感触が体から離れない。
握った指先も、指をからめた髪の毛も、引き寄せた首筋の体温も。
昔と変わらない、少し冷たい唇も。
「何で、胡桃じゃないとダメなんだろうな……」
他のヤツを好きなれたら、どんなに楽だろうってそう思うのに、そうしたいとは思えなくて。
卑怯な俺は、胡桃が誰かを選ぶ日を、怖いと思いながらも待っているんだ。