犬と猫…ときどき、君


「……よしっ!」

私が、冷たいままの手の平で頬っぺたをペチペチ叩いて気合を入れた、丁度その時。

入院犬を連れた春希が、ランにお散歩にやって来て、そのまま着替えようとしていた私を見るなり顔を顰め、“ブラインド下ろせよ!!”と、ジェスチャーで私を叱る。


「分かってるもん」

でも、口を尖らせて窓に歩み寄った私に“しょうがねぇなー”って顔で、いつも通りの笑顔を向けるから。

少しだけ胸がキュンとして。

「……ムカつく。春希のばーか」

私に、そんな理不尽な悪態を吐かせる。


だって、そんな事をされたら嫌でも思い出してしまう。

ブラインドの下ろされた薄暗い医局で、春希に抱きしめられた時のこと。


それを、どうしても思い出してしまう。


キャミを着ただけの私の体を抱きしめた春希の体温は、すごく熱かった。

あの時、自分の気持ちに気が付いていたら、何か変わったんだろうか?


こんな風にたくさんの人を巻き込んで、傷付けて……。

そんな事を、しないで済んだ?


「なんて、分かるワケないか」

でも、もしもそれが分かっていたら、私はどうしたんだろう。


春希に気持ちを伝えていた?


「……」

分からないけど、伝えたってきっと同じ。

私を「好きだ」と言ってくれた春希が、一番好きなのは、松元さん。

それはきっと、変わらない――……。


結局、頭の中のモヤモヤは、ほとんどなくならないまま診察に入って、だから余計に疲れた。

頭がボーっとする分、いつもよりも集中しないと何か失敗をしてしまいそうで……。


「芹沢」

「……ん?」

「岡田さんトコのユウちゃん、乳腺のバイオプシー出そうと思うんだけど」

「あー、そうだね。その方がいいかも」

「……」

「なに?」

手渡されたユウちゃんのカルテを眺めていると、斜め上から視線を感じた。

顔を上げると、当然だけど、そこには私を見おろす春希の姿がある。


「どうしたの?」

「いや、別に」

「……」

“別に”なら、無駄に見ないでほしいんだけどな。


「じゃーそんなに見つめないで」

「は?」

「減るじゃん」

「……何が?」

「お肌のうるおいとか? 減りそうじゃない?」

「俺に聞くなよ」


こうやって、誤魔化さないと間が持たないなんて……。

私も春希も、何かおかしいよね。



< 531 / 651 >

この作品をシェア

pagetop