犬と猫…ときどき、君
「ごめん」
「なんでお前が謝るんだよ」
「だって」
“春希”だなんて、呼んで……
「ごめんなさい」
そんなに困ったような顔をさせてしまって、ごめんなさい。
「だから――」
もう一度謝った私に、春希が何かを言いかけたその時、“トントン”というドアをノックする音が医局に響いた。
「えっと、失礼します」
ゆっくりと開いた扉の隙間から、少し気まずそうに顔を覗かせたのはサチちゃんだった。
「オペの準備、終わったんですけど……」
「あー、悪い。今行くから」
オペの助手をする予定のサチちゃんに向かってそう言って、彼女を先にオペ室に戻らせたあと、
「今すぐに行くわけじゃないし、病院とか、お前らの事はちゃんとしてから行くから。だから、心配するな」
春希は私の顔を覗き込むようにしながら少し笑うと、そのまま医局を出て行ってしまった。
でも、春希。
そうじゃなくて。
「……っ」
春希のいなくなった医局で、閉まるドアの音を聞きながら、私はその場から動けずに立ち尽くしていた。
私は今、何を考えているんだろう?
私はここの病院の院長で、春希がもしもいなくなるなら、スタッフの生活のこととか、病院をどうするのかとかを考えないといけないのに。
それなのに、さっきから頭の中をグルグルと回っているのは同じことばっかり。
「春希……っ」
“行かないで”なんて、言えるわけがないし、言う権利さえない。
それは分かっているのに、それでもやっぱり思ってしまう。
離れないといけないのかもしれないとか、離れた方がいいんだろうとか、春希を忘れる為にそんな事を考えていたのに。
「春希、行っちゃヤダよ……っ」
それが現実になると、こんな風に取り乱すなんて、私はいつからこんなに弱くなったんだろう。
そもそも、春希が留学をしたいと思っていたなんて全然知らなかった。
もしかして、ずっと悩んでいた?
この病院と、みんなの事を考えて、言い出せずにいた?
そう思うと、胸が痛んで……。
だけどそれよりも、それを相談さえされなかった事に傷付いて、“松元さんには相談していたんだろう”なんて考えている自分に愕然とした。
どこまでも自分本位なこの想いは、“恋”と呼ぶにはあまりにも醜すぎる。
「もういい加減、忘れないと」
そうしないと、このままでは本気で自分を嫌いになってしまいそう。
忘れる為には、離れた方がいい。
でも――……。
「頭、ぐちゃぐちゃ」
結局私は、どうしたいんだろう?
他の人はどうしてるんだろう?
きっと、こんな想いを抱いている人は私以外にもたくさんいて、その人達はその想いを、一体どうやって綺麗なまま昇華させていくんだろう……。