犬と猫…ときどき、君


いつも用件だけを手短に話す今野先生の電話は早い。

春希が出て行って、ものの数分で終了したその電話に、私は携帯を閉じてカバンを漁り出す。


「……何してんの?」

まるでタイミングを見計らったように、部屋に戻って来た春希は、手に小さな薬のチューブを持っていた。


「ちょっとだけでも、お化粧しようと思って」

「別に彼氏なんだから今更いいだろ」

クスクスと笑ってそう言うと、そのまま私の目の前にあぐらをかいて座る。


「手ぇだして。あと、デコも」

「へ?」

「いいから、早くしろよー」


目を瞬かせる私の手を取って、それを自分の膝の上に置き、さっきの、どこかから持ってきたチューブの蓋を開ける。

そしてそこからしぼり出された、ヒンヤリとする半透明の軟膏を、私の紅くなった手の甲に塗り始めた。


「抗生物質あったから。一応塗っとこう」

私の手が痛まないように、そこに優しくそれを塗り広げた春希は、ためらうことなくそのまま私の額に手を伸ばす。


火傷のせいなのか、火照りのせいなのか……。

熱いはずのその指先が、いつもよりも冷たく感じた。


目の前には、私の額の紅みに、わずかに歪められた春希の顔。

そんなに気にしなくていいのに……。


薬を塗るほどでもない程度の火傷なのに、春希はきっと、また自分を責めている。

自分のせいで、私の心と体が傷付いたって、きっとそう思っている。

それが分かっているのに、なかなか口を開くことが出来ない。


すると、まるでその沈黙を嫌うように、春希がゆっくりとその口を開いたんだ。


「あのさ、留学のことなんだけど」

もしかしたら、春希はずっと話すタイミングを見計らっていたのかもしれない。


でも私は、そんな話を今されるなんて思ってもいなかったから、あまりにも驚いて、ゴクリと唾を飲む。


「ちょっと予定より遅くなったんだけど、四ヶ月後くらいには行こうと思ってて」


――四ヶ月。


「そう……なんだ」

ずっとずっと。

誰よりも病院での仕事を頑張ってくれていた春希。

それでなくても忙しくてクタクタになる仕事なのに、あんなに無理をしてきたから、きっと体だってボロボロなんだと思う。


分かってるの。

応援しないといけないっていうのは、嫌というほど分かってるんだけど。


それもやっぱり――……。


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