犬と猫…ときどき、君
あの日、春希が留学を希望しているのを知ってから、私なりに考え続けていた。
「城戸……」
私がその邪魔をすることなんて出来ないし、止める権利さえないことも理解してる。
それでもやっぱり、頭の中に浮かぶのは――……。
口に出すことの出来ない、バカみたいな言葉ばっかり。
「……っ」
喉もとまで出かかっている言葉を飲み込む私に、春希はその深い黒の瞳を向ける。
「どうした?」
春希……。
「芹沢?」
「あの、ね」
「ん?」
「あの……頑張ってね」
――“行かないで”なんて、言えるワケがない。
「おー、ありがと」
私の心にもない言葉に、春希がにっこりと笑うから、本気で泣きそうになる。
「それで、病院のことなんだけど」
ゆっくり一つ息をして、一度視線を落とした春希が、もう一度その瞳をあげて、真っ直ぐに私を見据えた。
ドクンドクンと、ひどく脈打つ心臓が、自分の物じゃないみたい。
「俺がいなくなったあと――」
春希がちょうどそう口にした瞬間、
ピンポーン――……。
部屋に響いた、さっきと同じ、すこし籠ったようなその電子音に肩が跳ね上がった。
春希はそれに小さな溜め息をこぼし、「ちょっと待ってて」と言い残して立ち上がり、伸ばしたキレイな指で応答ボタンを押す。
「はい」
「悪い、遅くなった!」
「おー、今開ける」
スピーカーを通して聞こえたその声は、いつも通り、何も変わらない優しい今野先生の声。
「今野、来たぞ」
「あ……うん」
「さっさと化粧終わらせとけよー」
さっきの話の続きが気になってそれどころじゃない私に、春希はからかう様な言葉を残し、リビングを出て行った。
「……」
“病院のことなんだけど”――そう口にした春希の、あの表情。
あれは、話しにくい事を口にする時の春希の顔だ。
そんな事まで分かってしまうから、胸の中のモヤモヤは、治まるどころか広がるばっかり。
お化粧ポーチに手を伸ばして、取りあえずファンデーションだけを軽く塗って。
でも、それ以上何かをする気なんか起きなくて……。
私は、春希と今野先生が楽しそうに話をしながらリビングに入ってくるまで、バカみたいに茫然としながら、ラグに座り込んだままでいた。