犬と猫…ときどき、君

「本当は、獣医師会の名前でリースをお願いするはずだったんだ」

「……」

「横山先生に、松元のじーさんを紹介されて、その方が安く済むからって。それで、その契約の日……」

ポツポツと口にする自分の言葉に、目の前の篠崎君の表情が少しずつ曇っていく。


本当は春希が行くはずだった契約日に、松元先生から都合が悪くなったと連絡が入って、もうその日しか空いていないからと指定された次の契約日は、春希が狂犬病の当番の日だった。


しかももう、病院の再開は間近で、直接家まで来て欲しいという松元先生の言葉に、代打で向かったのは篠崎君。


インターホンを押して玄関が開けられて、そこに立っていた人物に、心底驚いた。

篠崎君を笑顔で出迎えたのは、何故か松元先生ではなく……松元さんだった。


「おじいちゃん、急なオペが入っちゃって。知り合いだって言ったら、代わりにサインもらっておくように言われちゃいました」

そう言って笑う松元さんに促されて部屋に入って、目の前に差し出された契約書類。


それに目を通そうとしたら、松元さんの小さな笑い声と、

「大丈夫ですよ。一度ハルキさんに目を通してもらったみたいなんで。でも篠崎さんって……ハルキさんの子分みたいですよね。いっつも金魚のフンみたいにくっついて回って」

そんな言葉が聞こえたらしい。


「俺は実際にハルキのこと大好きだし、ハルキがそんな風に思ってないことは分かってたから、別によかったんだ」

俯いたまま、私にそう言った篠崎君は「だけど、その後に言ったあいつの一言が、どうしても許せなかった」と、その顔を大きく歪ませた。


「何を言われたの……?」

「“あの女の後ろをくっついて回る、椎名さんと同じですね”って」

「……っ」

“あの女”っていうのは、きっと私のこと。

でもそんな事はどうでもよくて。


「芹沢の事もそうだけど、どうしてマコがあんな奴にそんな言い方をされないといけないのかが分からなかった」

「……」

「ただ、ムカついて、カッとなって。その後も散々マコとか友達のクソみたいな話聞かされて、もう嫌になったんだ」


篠崎君……。


「心底嫌になって、ハルキが一度目を通したっていう、あんな女の言うこと信じちゃってさ」

「……」

「俺、たいして中身も確認せずに、サインしちゃったんだよ。それで、後から送られてきた正式な契約書類を見たら、全部あの女名義で機械借りてる事になってた」


しぼり出されるその声は、聞いているだけでも苦しくなる程の、後悔と懺悔の気持ちが込められている。


「そっか……」


私はその表情を見つめながら、ただ胸を痛めるだけで、彼の傷付いた心を慰める言葉をかけることも出来なかった。

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