≡ヴァニティケース≡
目の前に居るこの男は、最初から味方などではなかった。あの日、親切で親子を救ったと思われたあの行為は、すべて己の欲望を満たす為だったというのだ。何十年もの長きに渡り、善良な人物を装っていた男は、その心の奥底へ歪んだ復讐心を隠し続けていた。婦人は今、それを見抜けずにいた自分が悔やまれて仕方なかった。
「大丈夫、私に全て任せなさい。貴女にもまだ死んで貰ったら困るんでね。まぁほら、この薬を飲みなさい。心臓が楽になります」
婦人に白い頓服薬を無理やりに含ませ、すっかり冷めてしまった紅茶で流し込む。
「まあ、もう諦めなさい。それにその薬を飲んだら少しは落ち着く筈ですから」
まるでペットをそうするように、婦人の頭を撫でながら男が囁いた。
「さ、触りなさんなや」
「おやおや。ずいぶんと嫌われたものですな。では、そろそろ失礼させて貰います」
男は唐突に席を立った。ドンと、ソファーの肘に婦人の頭が落ちる。
「奥様はゆっくりと夢でもご覧になっていて下さい」