≡ヴァニティケース≡


 そう。どう考えても美鈴には恨まれる理由も殺される根拠も存在しない。


 今回の事件に於いては、相手を憎んでいいのはこちら側だ。美鈴はこれまで『お嬢様』と呼んでくれる使用人など持ったことはない。いっときは高い収入を得ていたことも有ったが、それもほんの数年。使用人はおろか、稼いだ金も身に付いてはいない。これは胸を張って言える。『お嬢様』など、夢のまた夢だ。


 一方的に恨まれ、一方的に命を狙われ、襲われ、拐われ、あまつさえ凌辱され掛けた。こちらには恨む理由など山程有る。いっそ殺してやりたくもなる。


────こんなのは嫌だ。早く雌雄を決してしまいたい……奴らと接触する上手い方法はないものかしら────


 それを一晩中考えた。


 昨夜、或る男から聞かされた話を切っ掛けにして、美鈴の中に微かな記憶が蘇っていた。おぼろげながらも経緯を思い出し始めた。それが本当に自分自身の記憶なのかは定かでないが、誰かと共有している記憶……の筈だった。



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