≡ヴァニティケース≡


 この程度ではなんの役にも立たないかも知れないが、それでも持っていないよりは心強い。勿論、使わずに済むのが最良ではあるのだが……。


「行きますか!」


 自らを鼓舞し、急ぎ足で事務所を出て、職員用の通用口から外を見回したが、やはり塚田達の気配はない。無論、彼らが徒党を組んで公然と闊歩していたこともこれまでには無いのだが。


「覚悟を決めよう。どうせ死んでも一回よ」


 まだ人通りの絶えない大通り避けて、敢えて裏道を進む。


 小路、小路、また小路。穿った目で見れば、京都の街は拉致にも強盗にも引ったくりにも向いている。潜む場所も逃げるルートもふんだんにある。


 だが、今はそれでいい。美鈴は歩を緩めた。


 暮色が石畳を刷ハダき、影法師が輪郭をおぼろげにしている。京都の街を包むマジックアワーも終わりに近い。



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