≡ヴァニティケース≡


 すると不意に左側の女が耳元で、「大城美鈴はんですやんな?」と囁き掛けてくる。


「え? そうですけど……」


「ごめんやす」


「! 痛っ!」


 完全に不意を突かれた。まったく予想していなかった。まさか電車の中で、しかも女が……。


 振り向くのも立ち上がるのも間に合わなかった。動こうとしたときには太ももの辺りに刺すような痛みを覚えていた。


「堪忍え、いいお小遣いになんねんて。ウリより割りがええねん。ほなな」


 女たちは嬉しそうに手を振ると、ゆるゆると会釈をして美鈴の元を離れていく。


 刹那、その後ろ姿が途方もなく忌々しく見えたが、その時には意識が朦朧とし始めていた。


「まさ、か……薬を使う、なん……て」


 霞む視界、遠くなる電車の音。


「これ……じゃあ……予定と、ちが……う」


 いつ目を閉じたのかも解らなかった。



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