≡ヴァニティケース≡
高度経済成長末期、伊藤鈴奈の家は舞鶴港で海運会社を営む、日本でも有数の資産家だった。
元々は国内向けに海産物の輸送をしていたが、鈴奈の父である博嗣ヒロツグが社長に就任してからと言うもの、中国、韓国、ソ連(現ロシア)へと次々に定期便を就航させ、一代にして日本屈指の海運会社を作り上げたのだ。
しかし、財産と幸福が必ずしも同居出来るものとは限らない。
もちろん大部分の人間は裕福な暮らしを望むだろう。だが、神の気紛れはいつも何かしらの艱難カンナンを好む。公明正大と言えなくもないが、恵まれた割り当ての人間にも、それ相応の苦悩が用意されているものだ。ややこしい感情的な話を省いて言えば、この世に憂いのない人間など居ないのである。