≡ヴァニティケース≡
「奥さん、奥さん」
次第に大きくなる声は「奥さん」と言っているようだが、今はそれどころではない。この瞬間にミレイの無事を祈らなくて、いつ祈るというのだ。
「ミレイちゃんミレイちゃん……」
「奥さんっ!」
「はぁ?」
大声に仕方なく振り向けば、そこには若い医師が立っていた。尋常ではない鈴奈の様子を見兼ねて声を掛けたらしい。
「奥さん、落ち着いて下さい」
「せ、先生! 娘は……ミレイは……」
「私はインターンなので……中で先生方が頑張っておられますが、正直言って深刻な状況です」
「深刻って。どないしたら……」
医師は鈴奈と暫く言葉を交わしていたが、やがて精神安定剤と水を手渡して、廊下の奥へと歩き去った。
医師の背中を見送ると鈴奈は跪き、必死で何かに祈り続けた。降臨するのが神以外でも一向に構わなかった。娘が助かるのであれば、インドでもイスラエルでも、いや冥界にだって行く準備はある。
「ああ神様仏様、ミレイをお助けください。いいえ、助けて下はるのなら、悪魔にだって縋りとうおす」