≡ヴァニティケース≡

「これはさっきわてが戻したファイルやあらへんか! もうええ。自分で見付けるさかいに」


「す、すみません」


 自分の無力さを不甲斐なく思うばかりで、だが突き進むだけの気概には乏しい。物事が左右に振れて、はっきりしない時ほど人は苛立つものだ。いつしか美鈴の毎日は、一日が早く過ぎ去ってくれるのを待つばかりの日々になっていた。


「やっと終わったわ……」


 夕方になって帰り支度を始めた美鈴だったが、その手の動きは捗捗ハカバカしくない。のろのろと緩慢な動作を続けているこの手が誰の物かさえ疑ってしまう。


「はぁぁぁっ」


 周囲の二酸化炭素濃度に影響しそうな溜め息を、ここ一両日の内に何度吐いただろう。ふと気付けば美鈴は、楽しかった筈の家事にさえ、やる気を見出だせずにいた。医療の仕事が営業と勝手が違う事は解っていたが、ここまで自分の思い通りにならないなどとは、考えてもみなかったのだ。



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