ジェフティ 約束
 視線の先に、男の懐が見える。その端からちらりと覗く装飾のついた鎖が鈍く光っていた。アスベリアは、まだ動く左手をどうにか伸ばして、その鎖に指を引っ掛けると男の懐から引き抜いた。
 ずしりとした確かな重量が、アスベリアの掌へと滑り込む。
 いつの間にか頭上に顔を出した月が、その手元を照らし出していた。

「……やられた」
 思わずアスベリアの喉から悔しさのにじんだ言葉が漏れた。アスベリアの手の中で、見覚えのある美しい文様が青白い光を反射し、輝いていた。アスベリアにとってそれは、苦々しい記憶を呼び覚ます鍵のようなものだ。シンパ戦の敗北。その時の記憶がまざまと脳裏に蘇ってくる。それは、アスベリアにとってさまざまなものを失わせるきっかけとなった出来事を多く孕んだものだった。
 その戦いのさなか、このアルハンマムールの白い花の美しい文様が入った旗が、いくつも最前線に燦然(さんぜん)ときらめき、退却するアスベリアたちに向かって誇らしげにはためいていた。
 あの光景は忘れることは出来ない。
 あそこまで完膚(かんぷ)なきまでに叩きのめされ、敗走を余儀なくされたのは、油断以前に、コドリス側の指揮官、アルハンマムールの紋章を掲げるその人物の策略が見事だったからに過ぎない。
 その指揮官の名は……。
「セオール=マーニヤ」
 アスベリアは戦場でその姿を目撃することは出来なかった。若干二十歳そこそこの小娘であったらしい。コドリス現王バルナバ=ジェスタルの末娘で、母親の身分が低いため小さい頃はコドリス国内の下級貴族の元で育てられたらしい。しかし、その才能は兄弟の中でも抜きに出ており、バルナバの寵愛を受け、今や次代の王はもしやこの娘かと囁かれているほどだ。
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