貴方に愛を捧げましょう
無情な駆け引き
あたし以外に人はいなかった。
なのに、目の前には人がいる。
檻の中にいたはずの狐は、居なくなっている。
説明のつかない出来事が、一瞬のうちに二つ起こった。
関わらずに放っておけばよかった。
今さらそんな事を思っても……もう遅い。
あたしは逃げの体勢を保ったまま、突然現れた人物を見上げた。
微動だにせず真っ直ぐに立つ体は、着物のせいもあって、すらりとしている。
真っ白な着物に、肩に付くほどの長さの黄金色の髪は、月明かりを浴びてキラキラと輝く。
その髪が包んでいる顔は……異様なまでに美しい。
それも、かなり現実離れした美しさだ。
切れ長のつり目を囲う長い睫毛、高い鼻梁に薄い唇、今にも崩れ落ちそうな白い肌。
その全てが儚くて、跡形もなく消えてしまいそうで、今までに見たことのある誰よりも完璧で。
だけどその顔立ちは中性的で、男女の区別がつかない。
シルクのような髪の隙間から覗く蜂蜜色の瞳は、静かにあたしを見下ろしている。
つり目ぎみのその瞳には、確かに見覚えがあった。
「あなた、誰」
あたしの問い掛けに、それまで身動き一つしなかったその人は、優雅な流れですっとしゃがんだ。
そして膝をつき、片手を胸の前に当てる。
不思議と惹き付けられる蜂蜜色の瞳を、真っ直ぐにあたしに向けて。
「私は、葉玖(はく)と申します」
──…男だ。
深みのある低い声は、彼の瞳と同じくらい魅惑的。
耳の奥をじわりじわりと侵食していくような、そんな感覚がする。
だめだ……聴いてはいけない、見てはいけない。
本能がそう警告する。
けれど目が離せない、体が……動かない。
「貴女は檻に貼られていた呪符を取り、私を戒めていた封印を解きました」
ああ……分かった。
あの御札は“狐”を、それと同時に“葉玖”という名の彼を、外へ出さないよう封印していたんだ。
人間ではない、何か異形の存在を。
あたしは、それを解いてしまった。
一体、彼は何者なのだろう。
そして……あたしはどうなる?
「……だから?」
「貴女に、忠誠を誓います」