貴方に愛を捧げましょう
「また……引っ越しするの?」
お母さんがもう一つのスーツケースに目を向けたと同時にそう訊くと、あっ、と思い出したように自分の手を軽く叩いて再度こちらを向いた。
「そうそう、その話をしなくちゃね。色々と慌てているから大変で……」
「もう、今すぐにでも引っ越し先に行くような勢いみたいだけど」
スーツケースの前にしゃがんでいたお父さんが唐突に立ち上がり、慌てた様子で部屋を出ていく。何か忘れ物らしく、ぶつぶつ呟きながら足早に歩く様子が廊下に響く足音から伝わってくる。
そこでふとお母さんに視線を戻すと、どこか申し訳なさそうに微笑んでいた。
「それがね、本当に今から行かなくちゃならなくて」
「お母さん達が集めてここに置いてる……あの、骨董品はどうするの、後で送るの?」
骨董品というのもどうかと思うけれど、寸前まで言いかけた“ガラクタ”と言わなかっただけまだマシだ。
「それに、もっと早く言ってよ。今から引っ越し先に行く準備なんて出来ない…──」
「あのね、由羅はここに残ってくれて構わないのよ」
「……えっ」
そんな提案、初めて聞いた。今まであたしの意見なんて聞きもしないうちに引っ越しを繰り返してきたのに。
今になって、どうして。
「お父さんの仕事の都合で行かなくちゃならない場所、実は海外でね」
「……、海外」
「悪いなぁ、由羅。だけどお前は他の子よりしっかりしているから、ここに一人残っていても大丈夫だろう?」
何か手にして戻ってきたお父さんは、全く悪びれた様子もなく笑いながらお母さんの話に続けてそう言った。
あたしの何を解ってて『大丈夫』なんて言ってるんだか……。
きっとあたしがこうして起きて来なかったら、置き手紙程度で海外へ行く主旨を伝えるだけに留まっていただろうな。
「先方がどうしても早く会って話したいと言うものだから仕方ないんだ、分かってくれるだろう?」
「私も仕事の都合で向こうに行かなきゃならないし、ちょうどタイミングが良くて」
「……」
「お金はいつも通り、きちんと置いていくからね」
「今取りかかっている仕事がいつ頃終わって、どのくらいで日本に帰ってこれるのかは分からないが……何か問題があれば、前に渡した携帯電話で連絡してくれればいい。いいね?」
「……」
あたしはただ頷いておいた。何も言うことはない、不満など……もちろん無い。
むしろ面倒事がなくて良かったと思えるくらい。どこの国かは知らないけど、海外にまで連れていかれたら堪ったものじゃない。
それにきっと、何があっても連絡など取ろうとは思わないだろうな……。
携帯電話なんて貰った日以来使ってないし。きっと開けていない段ボールのどこかに埋もれている。
「話はもう、終わりよね」
あたしが身体を半分廊下に向けてそう言った時には、すでに二人は各々出掛ける準備に取りかかろうとしているところだった。
本当に……自分達の事しか考えていないんだな。今に始まったことじゃないけど。