貴方に愛を捧げましょう
その後、鞄に入れたままの課題を引っ張り出して黙々とこなしていった。彼には特に何も言わずに。
とりあえず、あたしが課題を終わらせようとしてることは察してくれたみたいだけど……時々彼を窺い見れば、妙にそわそわしていたように思う。
知らない人が彼を見てもそうは感じないだろうと思うくらいには、ささやかだったけど。
適当に休憩を挟みつつ、その合間に彼の里へ行く際に必要そうなものを大きな鞄に放り込んだ。
葉玖からは向こうにも生活に必要なものは揃ってるから必要最低限で大丈夫だと聞いたから、本当に最低限。
冬休みにと出されてた課題の方は案の定、ほぼ1日で終わった。
彼の里へ行くための準備も大して時間がかからなかったから、次の日のお昼頃には出発することになって。
「さてと、行きましょうか」
どういう方法で行くのかはさっぱりだけど。
そう思いつつ、縁側に出ていつも通りの葉玖を見やれば──彼はなぜか、自分が着ている美しい彼岸花を咲かせた羽織を脱いで手に持った。
「それ、どうするの」
「こちらを、貴女に」
「着るの? 防寒のため、ってわけじゃなさそうだけど」
そもそも彼が防寒のために着ているわけじゃないだろうし……。
思いながら問うと、葉玖は羽織りを大きく広げてみせた。
「仰る通り、これは防寒のためではありません。少しの間、我慢して頂けますでしょうか…?」
それを、なぜか頭から被せられた。ふわりと彼の甘い匂いに包まれる。
匂いによる安心感で満たされていながらも疑問は消えることはない。どうして頭から被る必要があるのか、と。
「何のためにこんなことするのか説明してもらえるのよね」
言わずもがな彼の方が圧倒的に身長が高いので、頭から被っているにも関わらず、必然的に板の間で羽織りを引き摺るような形になる。
その上、尚も羽織であたしの体をくるむように覆うものだから、思わず彼を睨んだ。
むっとしながら手が出せないほど大きい羽織の袖に腕を通そうとすれば、彼が膝を付いてやっと説明を始めた。
「貴女を里までお連れするのは容易なことなのですが、貴女を寒風に長時間さらさないよう何より最短で負担のない方法があるのです」
「その方法のために、こうすることが必要なの?」
「……はい。以前、私が貴女の元から去った時の事を覚えていらっしゃいますか…?」
覚えてる。そう答えようとすれば、彼がふと視線をあたしから逸らしたことに気付いて漸く、なぜこうも説明に時間を要したのかが分かった。
この話をしたくなかったからだ。
まだ、あたしの元からから去ったことを気にしている。
「ねぇ、こっち見て。ちゃんと。あたしは全然気にしてないから、話を続けて。説明して」
手が出ない袖のまま布越しに彼の頬に触れてそう言えば、こちらを見据えた瞳が少し潤んでいるように見えた。
それでも、ほんの少し微笑んで。
「……では、続けます」
──で、葉玖の説明によると。
以前、彼と尊という子が一瞬にして消えたように見えたのは、あたしのような人には見えない路(みち)を通ったからだそうで。
その路というのは、彼らのような人ならざる者達が無数に行き交うようなところで、あたしのような力の無いただの人が通るべき所ではないと言う。
理由は単純明快、危険だから。
ただ、人がいると知られることがなければ何も問題はないとか。
だから葉玖の匂いがする羽織であたしをくるむ──と。
「時間にしても、ほんの一時です。なので……」
何か続きを言おうとする彼を横目に、ふと沸き上がった好奇心。
彼の言葉を遮って、試しに訊いてみることにした。
「ねぇ……もし、途中で羽織から手を出してしまったら……どうなるの?」
「……っ」
途端、息をのむ音が耳に届くと同時に、この世の恐ろしいものでも見たかのような表情をされた。
口にするのもおぞましい、とでも言わんばかりの……。
「……、分かってる。分かったから。しないから、そんな目で見ないで」
あたしの身を案じてくれているのが分かっているからこそ、痛ましいものでも見るかのような眼差しに感じて。
もうよけいな事を訊くのはよそう。
そう決めて、愚痴を溢さずただ黙って彼に身を委ねることにした。