貴方に愛を捧げましょう
ゆっくりとした足取りで近付いてくる、堀江──名前は知らない。
そんな事はどうでもいい。
どうして、あいつがここに?
それになんで、急にあたしを名前で呼んだの?
ずっと苗字で呼んでなかった?
「どうして、あんたがここにいるの」
「は? だってそこのマンション、俺ん家だし」
「……」
なにあの話し方。
以前と全く違う、すごく慇懃無礼な口調。
……帰ろう。
「おいっ、由羅!」
再び、後方へ引っ張られた。
掴まれた手を振り払おうとしたけど、取れない。
振り返ってアーモンド型の目を睨み付け、再度同じ言葉を投げ掛ける。
「放して」
「せっかく来たのに、もう帰んのかよ」
「あたしはただ…──」
……せっかく? なにが?
ただ、あのマンションに見覚えが……。
「お前、まだ忘れてんのか」
「なにを……」
本当に訳が分からず、手を振り払うのも忘れて尋ね返すと、彼は呆れたようにため息をついた。
綺麗な形の目はすっと細められ、そこに少しかかる黒髪が風に揺れる。
気の強そうな眼差しに、ピリピリした鋭い空気を纏わせて。
夏休み前までの彼と、今目の前にいる彼は、同じ人?
あの人懐っこそうな柔らかい雰囲気は、一体どこにいったの。
けれどそんな思いは、彼の次の一言で霧消した。
「前に、あそこで住んでたろ」
「──…あ」
思い出した。
そうだ、あたし……あそこに住んでたんだ。
よくあのブランコに座って、誰かと話していた。
その誰かは、多分……。
でも、待って。
どうして彼がそれを知ってるの。
そう疑問に思った瞬間、脳裏にぼんやりと浮かぶ光景。
ランドセルを背負った、傷だらけの男の子。
意志の強そうな、鋭いアーモンド型の目。
その子と話をした内容。
確か、名前は…──
「──…あっ、もしかして……律?」
「もしかしなくても、そうだよ」
そこで律は、やっと手を放してくれた。
代わりに、あたしの頭に大きな手を置いて、髪をぐしゃぐしゃと掻き乱す。
その無遠慮な行為に、思わず眉を潜めて睨んだ。
けれど彼は、楽しそうに声を出して笑うだけ。
……おまけに。
「やっと思い出したか。バカ由羅」
そう言いながら、律はいたずらっぽい笑みを浮かべてみせた。