貴方に愛を捧げましょう
──…そう。
あたしにとっての彼は、そういう存在だったんだ。
あたしは振り返って、家の中へと戻った。
彼が消えた理由は分からないけれど……どこに行ったのかは、なんとなく分かる。
きっと彼は──あの部屋にいる。
あたしと彼との始まりの場所へ、直感に従って向かった。
彼があたしのために咲かせてくれた、向日葵を持って。
家の中はしんと静まり返っている。
僅かに聴こえるのは、自身の足音と微かな息遣い、虫達が奏でる外からの音。
包み込んでくれるような柔らかな空気が、心を落ち着かせてくれる。
──…二階に着いて、例のからくり部屋の前で立ち止まった。
そっと深呼吸してから、一つ目の扉を開く。
物一つ無い殺風景な部屋に落ちる、淡い月明かり。
少し埃っぽいけど、古い木の匂いが優しく鼻腔を擽る。
彼と出会ったあの夜から、一度もこの部屋の扉を開けなかった。
けれど……やっぱり何一つ変わりは無い。
二つ目の仕掛け扉の前に立ち、躊躇なくそれを開く。
するとそこには、予想していた通り、檻に捕われている彼がいた。
未だに狐の姿のままでいるものだから、出会った時の事をことさら鮮明に思い出す。
でも……あの時と違うのは。
彼を苦しめる、数珠の戒めがある事。
あたしを見つめる彼の瞳が、溢れんばかりの感情に満ち満ちている事。
そんな彼に対し、自由を与えようと“あたしが”行動に移している事。
どれもこれも、以前のあたし達には考えられなかった。
想像もつかなかった。
彼が本当にあたしを愛してしまうなんて。
彼に対して、あたしがここまでの事をするなんて。
「由羅様……」
鼓膜に甘く響く声に、思わず瞼を閉じた。
そのまま檻の傍にしゃがみ込み、そっと息をつく。
再び目を開くと、潤んだ蜂蜜色の瞳と視線がぶつかった。
その大きな瞳がすぐ下に視線を落とす。
「……これね」
彼にならって視線の先を見ると、檻の中に彼が言っていた刀があった。
テレビでなら見た事はあるけど……初めて実物の日本刀を見た。
すらりと細身のそれは、威風堂々とした雰囲気を纏い、鞘にしっかりと納められている。
葉玖が言っていた通り、彼と同様、漆黒の数珠に戒められて。