貴方に愛を捧げましょう
──…昔、小学校に入る少し前。両親と遊園地に行った事があった。
記憶に有る限り、それが家族で遊びに出掛けた最初で最後。
本当に一度きり。それもあたしが頼んだからだった。
遊園地に行った事は覚えているけれど、途中の記憶はほとんど無い。
つまり、両親と園内を回った記憶が。
きっと想像していた以上につまらなかったんだろう。
はっきりと憶えているのは、別の事。
急に仕事が入った両親は、あたしを置いて帰ったのだ。……あたしを忘れて。
“忘れた”と言い切るのは、過剰な被害妄想なんかじゃない。
きちんと理由がある。
自力で帰宅したあたしに、その日の夜中に帰ってきた両親からは……何の言葉も無かった。
謝罪の言葉も、心配する素振りも。
何も無かった。
あたしは泣くこともなく、かなりの距離があったにも関わらず、一言も口にしなかった。
怒りの感情さえ沸かず、心は冷えきっていて。
頼る事を忘れ、信じる心を無くし、全ての事に対して壁を隔てて。
そして今のあたしになった。
──…そう思う。
当時、五歳のあたしが道に迷って帰る事が出来なければ。
泣き喚いて、甘えてすがって、感情を剥き出しにすれば。
そうしたなら、両親は……あたしを心配しただろうか。
子供らしくして、頼る手が無ければ何も出来ない、そんな子供だったら。
本当の意味で、あたしを見てくれたのだろうか。
そんな事、今はもう、分からない。
今のあたしになったのは、全てが両親のせいだとは思っていない。
自分にも非がある事は重々承知の上だ。
両親を疎ましく思うなら、親しく出来る友達を作ればいい。
あたしはそうしなかった。
行動に移そうという意欲すら沸かなかった。
何に対しても関心を持たず、いつしか感情を露にする事も出来なくなった。
自分が一番不幸だなんて馬鹿な考えはない。
嫌いな事は沢山あるけれど、好きな事もある。
数少ないけれど、本を読んで、新しい知識を学んで、眠る事。
眠って眠って、このままずっと目が醒めなければ良いのに。
何度そう考えた事だろう。
そうして繰り返し気付かされる。
あたしは自虐思考なわけじゃない。
ただ、自分の弱さに甘えているんだ。しかもタチが悪い事に──無意識に。
あたしにとって最も楽に思えるのは、全てが“無に還る”こと。