闇夜に笑まひの風花を
そうして、彼女はぐっと顔を上げて翡苑を見た。
ここに来た目的を果たすために。

「翡苑さんは、殿下が雪が降ると魘されることをご存知ですか?」

唐突に聞こえる杏の台詞に、翡苑は泣きそうに笑った。

「はい。
しかし、私には何もできません」

何もできない。
それはなんと歯痒いものか。

けれど、裕が魘されるのは、自分のことをきちんと整理できていないからだ。
杏に相反する感情を抱き続けているからだ。

殊、『自分』に関して他人がしてあげられることは、ひどく限られている。

だから、杏は翡苑の感傷に取り合わず、裕に同情もしない。

「昨日、殿下から毎晩部屋に来るように、と言われました」

杏がうっかり彼を抱き締めたまま眠りこけた夜は、珍しくきちんと眠れたらしい。

けれど、あっさりと述べた言葉に、翡苑は目を剝く。

「姫様っ、それは__!」

「大丈夫です、ちゃんと断りますから」

同情はしない。
だから、毎晩部屋に通って話して添い寝でもして慰めても、なんの意味もない。

杏はもう、裕の婚約者ではないのだから。
たとえ彼らを引き裂いたのが時間でも、裕が未だに杏を愛していても、彼女は戻れない。

裕は、彼女を憎んでいるのだから。

「でも、私には責任があります。それを果たすために、わがままを許してください」

裕に彼女を憎ませた責任。
裕に彼女を愛させた責任。
そして、彼を苦しめる責任。

杏には、背負わなければならないものがたくさんある。

赦しを請うなんて、できない。

それなら、杏ができることも、すべきことも、ただの一つきり。

「……どうなさる、おつもりですか」

翡苑は不安そうに尋ねた。
杏はその瞳をじっと見返す。

「殿下は、この国の役に立てとおっしゃいました。
私には時間がありません。
この身体を食い潰せば、私の中にいるものは、外に出て暴れるでしょう。それを知っていらっしゃるから、殿下も私を殺せない。私が死ねば、国民が危ないから」

杏の持つ痣は、決して加護ではなかった。
彼女を守るための、加護ではなかった。

彼女を蝕む、魔との契約の印。

杏は、贄だ。
悠国の人々を守るための贄だ。

でも、だから何だというのだろう。
このまま、魔に食い潰されるのを大人しく待つなんて趣味ではない。

自らの誇りに従って生きると、決めた。
己の意志で。

「同じ命を賭けるなら、やらないよりやった方が良いに決まってる。
最期まで、人間らしく足掻かせてください」

最期まで、自分の足で歩くのだと。
誓った。



__誰に?



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