闇夜に笑まひの風花を
*****

杏の瞼が震える。
それに気づき、姫、と呼ぶ声。
杏は恐る恐る瞼を開ける。

ぼんやりとした視界に、見知った顔が覗き込んでいた。

「__ヒェンリー……あなた、どうしてここにいるの?」

寝起きに掠れた声で、杏は訊いた。
翡苑は彼女の知らないはずの彼の名を呼ばれたことに驚き、彼女の台詞に目を丸くした。

「……え?」

杏と翡苑はほぼ毎朝顔を合わせていたし、しかも、今朝話をしたばかりなのに。
それなのに、何故『どうして』と尋ねるのだろう?

「だって、しゅっちょうちゅうだって……リィンが……」

杏は未だはっきりとしない頭で続ける。
それはどこか舌足らずだった。

__杏は、開かずの間で泣き疲れて気を失っていたところを発見された。
寝乱れた襟元から、真紅の痣とアレキサンドライトのペンダントが覗く。

「おい、杏!?」

翡苑と共に付き添っていた遥は、わけの分からないことを言う杏を覗き込んだ。
その瞳の色は、淡紅色。

「……ハ、ルカさま……。ナノは、いつ城に……来れま、すか……」

杏が二度と呼ばないはずの呼び方をしたとき、遥はやっと彼女が誰なのか悟った。

__生まれたときから一緒に過ごした、幼い彼女だ。

開かずの間を見たことによるショックで記憶が戻ったのか、記憶が混乱しているのだろう。

そして、彼女の寝汗。
彼女が何を言いたいのか、彼には分かった。

遥は、ひどく悲しそうに、泣きそうに笑む。

「ナノはもう、城には来ないよ……アンジェ」

あの頃と同じ台詞を聞いて、その衝撃に気を失うように、杏はまた眠りについた。
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