闇夜に笑まひの風花を
突きつけられた言葉に、那乃は口元をわなわなと震わせる。
そして数歩後退って、扉に背が当たった。
「あなたは、大臣家一宮の娘じゃない。あなたは……『那乃』じゃない」
那乃は__否、『那乃』と名乗っていた少女は、泣きそうになって、頭を抱えた。
顔を俯けて、精一杯首を左右に振る。
「……ねえ、詳しく話して。
あなたが、本当は誰なのか……。
私にとって『那乃』はナノだけだよ」
それは正しいようで、ひどく厳しい言葉だった。
優しく気遣ったつもりの台詞が、彼女を追い詰める。
杏は話しながら彼女の傍に歩き寄り、彼女の視界に杏の足先が入ったところで、少女は勢いよく顔を上げた。
「なに馬鹿なこと言ってんの!?ふざけないでよ!大臣家の一人娘が死んでいるですって!?そんなわけ__」
「ない、と言うのか?
私の前で嘘を吐くことがどんなことなのか、分かっているのだろうな?」
狭い部屋の中に置かれている椅子に悠々と座りながら、裕が凄む。
王子に嘘は赦されない。
それを分かっているから、彼女はぐっと言葉を詰まらせた。
けれど、濡れた葡萄と同じ色の瞳で、三人を見回す。
「__じゃあ……。一宮那乃がもう死んでいると言うなら、私は誰なのよ?」
傷ついた、色。
杏はそれを見てハッとする。
……が、もう手遅れだった。
「私は……私は、一宮那乃よっ!
勝手なこと言わないでっ」
泣きながら、それだけを叫んで主張して、彼女は部屋を飛び出して行った。
制止の声を掛ける隙さえなかった。
全開に開け放たれた扉が、ゆっくりと駆け去る彼女の姿を隠す。
静まり返った部屋に、扉の閉まる音が寂しく響いた。