闇夜に笑まひの風花を
「とりあえず、一宮のことは長い目で見た方がいいだろう。簡単に話せることじゃない」

病弱で部屋に篭りやすいナノを覚えている人は、この城にはほとんど居ない。
万が一居ても、彼らの印象は黒髪だけだろう。
瞳を見るほどに親しい使用人は、一宮家の者だけだった。
だから瞳の色が違っても大したことではない。
そして、人々の記憶にかすかに残るだろう黒髪は、似ている鉄色の髪毛で誤魔化せる。

ナノと彼女が違う人だと見破れるのは、おそらくこの三人のみだろう。
二人が王子と言えどもまだ子供。
戯れ言として誤魔化すことなど、大臣家にしてみれば容易のはず。
気づいたからと言って、素直に話してもらえることではない。

杏はやるせない気持ちを押し殺して、遥にこくりと首肯する。

「……うん」

一つ頷いて、ふと引っかかるものがあった。

「ねえ、ハル。私たちの乳母は?」

裕の乳母には出会ったことがある。
けれど、遥と杏を育ててくれた母代わりの乳母のことは、一つも情報が得られなかった。

子供四人が遊ぶとき、世話係として付き添ってくれたのが、二人の乳母とナノの付き人だった。
彼女なら、おそらくナノが亡くなったことも知っていたし、少女が偽物だということにも気づけただろう。

そして、城内で杏を知る数少ない者の一人だ。

杏は純粋に疑問に思って尋ねたのだが、遥はただ泣きそうに微笑した。
母のことを話すときと同じ表情。

それだけで、分かってしまった。

杏は瞼を伏せる。
己の無力さに、彼女は拳を作った。

「それで、お前の記憶は戻ったのか?」

裕は横目で杏を見やった。
彼女は疲れたように苦笑する。

「いえ……、一部です。
開かずの間で起こった惨劇の被害者にあなた方のお母さんが含まれていることと、一緒に遊んだナノについてだけです」

開かずの間__あのときの現場に足を踏み入れたことで、杏の記憶は戻りかけていた。
特に事件に関することを。

開かずの間で発見された後、ベッドに横になりながら、杏はひどく魘されていた。
それは、わずかだが過去を思い出していたからだ。
もちろん、全てではないだろうけれど。
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