闇夜に笑まひの風花を
一ヶ月前、舞姫として初めて城に上がったとき、王に謁見した玉座の間。

杏は再びそこに追い立てられた。
後ろから心配顏の遥と呆れ顔の裕がついていく。

玉座には王が座り、その横に一宮那乃が佇み、壁側に翡苑が立っていた。
王は憤怒の形相を浮かべ、那乃は勝ち誇ったように微笑し、翡苑は不安そうな表情をしていた。

杏は黒づくめの男たちに囲まれたまま、床に跪かされた。

「貴様、名を名乗れ」

王の台詞は唐突で今更だった。
遥は眉根を寄せる。
王が彼女の名を呼んだときを目の当たりにしていたのだから。

けれど、王が何を言いたいのか、杏には分かっていた。

那乃が浮かべている笑み__それがすべてだ。

しかし、分かっていながら彼女は、王が望むものとは違う答えを口にした。
往生際が悪くも、彼女は足掻く。

「坂井あ__」

「貴様ごときが、母の旧姓を口にするな!しかも、この期に及んで偽名を名乗るとは__っ!」

そのあとはあまりの怒りに言葉にならず、王は言葉を詰まらせた。
那乃は笑みを崩して怪訝な顔になる。

坂井はともかく、杏という名は決して偽りではないのに。

杏は王の意図を確信して、瞼を伏せた。

「父上、どうぞお静まりなさいませ。興奮のしすぎはお身体に障ります」 

裕がどうにか王を宥めようとするが、それは火に油を注ぐようなものだった。
彼の落ち着いた制止の声に王は苛立ちを募らせる。

「うるさい!!
おい翡苑!この者を殺せ!今すぐ殺せ!! 私の目の前でっ!!」

王は玉座から立ち上がり、杏を睨みつけ、指を差した。
感情のままに叫ぶ王に噛みついたのは遥だ。


遥には信じられなかった。
舞姫としての彼女と謁見したときはあんなに穏やかだった父の変わりようが。

「父上っ!一体何のおつもりですか!? どうして彼女を__っ」

遥は辛そうに顔を歪める。
杏が聞いているのだ。
彼女を殺せと声高に叫ぶ王の言葉を。

遥は止めようとした。
止めたいと思った。
表情を見せない彼女が傷つくことが怖かった。
辛かった。
< 145 / 247 >

この作品をシェア

pagetop