闇夜に笑まひの風花を
背凭れに背を預けて、カップを持ち上げる。

「こうも惚気られたら誰だって疑いたくもなるわよ」

「惚気じゃないってば」

「言っとくけどね?年頃の男女が一つ屋根の下で二人っきりなんて、危なくておいしいシチュエーションなんだからね?」

彼女の言い草に、杏は危なくておいしいってどっちなんだろうと思った。

「那乃、言ってることの意味わかんない」

「男はみんな狼なのよ」

「もう……。大丈夫だよ、遥だもん」

那乃の繰り返される忠告に、杏は面倒くさくなったように不貞腐れた。
それを見て那乃も溜息を吐く。

遥が杏の中で特別なのは知っている。
幾度も誘拐されたことで男性恐怖症の気があるのに、幼馴染だからか遥だけは嫌悪感が湧かないらしい。
むしろ、彼女は彼の抱擁や頭を撫で髪を梳く手が好きだ。
けれど、油断しきるのは彼が哀れというもの。
なぜなら、杏に男として認識されていないと言えるからだ。

那乃は遥とも対面があり、彼が杏を恋い慕っていることも見て分かった。
彼女を見つめる瞳が優しく、甘いのだ。
あれだけ大切にしている雰囲気がただ漏れなのに気づかない杏に、呆れを通り越して感嘆する。

まあ、天然で鈍感なのが杏らしいけれど……。

「ねぇ、杏はさ、遥くんに恋愛感情ないの?」

突然な質問に杏は目を瞬き、そして瞼を半分伏せる。
実は彼女は二十歳前にも関わらず、恋愛感情というものを持ったことがないのだ。
だから、自然と声も悄然とする。

「……わかんない……」

「じゃあ、もし遥くんが杏の誘いを断って他の女の子と一緒にいたら、どう思う?」

遥が、他の女の子といたら……?

例えば、休日に行きたいところがあったとしよう。
それは一人では寂しくて、遥に行かないかと誘ってみるけれど、彼は断った。
だから那乃を誘って行くけれど、そこで遥を見かける。
あれ?と思っているところに、彼の隣に見知らぬ女性を見つけたら……。

きっと、私は動けないだろう。

想像しただけで、胸が痛む。

「……いやだよ……っ」

声は自然と漏れた。
胸が痛くて堪らない。
杏は唇を噛み、俯いて顔を隠した。
けれど、髪の隙間から水滴がテーブルに落ちる。

それを見て、那乃は動作を止める。

言いすぎた……。

「ごめん、意地悪言ったね」

__ああ、そうか、この子は……。
自覚がないだけで、遥くんのことがすごい好きなんだ……__。

見ていられなくて伏せた那乃の瞳に、傷ついた色が揺れた。
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