闇夜に笑まひの風花を
__音が、流れ出す。
杏は壁に身体を預け、目を閉じて聞き入っていた。
その顔色がわずかに白い。
不意に、何かに驚いたように彼女は目を瞠った。
その瞳に哀しみが宿る。
ああ、この曲は。
ふっと力なく微笑んで、杏はもう一度目を閉じた。
耳に届く曲にイメージを膨らませる。
どうしたらこの曲を表現できるか、と。
その曲は二分程度だった。
一人で舞うには妥当な長さ。
まるで誂えたように。
曲を終え、指揮者は杏を振り返った。
彼女は身体を壁から起こし、一歩歩を進めた。
「この曲の作曲者は……?」
「……遥様ですよ」
指揮者は少しの躊躇の後、偽りなく答えた。
それを聞いて、彼女は寂しげな微笑を浮かべる。
どこか諦めに似た、そんな表情。
……やっぱり。
心の中で、杏は呟く。
ずっと彼の曲を耳にしてきたのだ。
彼の曲は区別できる。
「そう……。題名は?」
「題名は……ありません」
遥がつけ忘れたのではない。
彼は、どの曲にも題をつけないのだ。
題は、曲のイメージを固めてしまう。
彼はそれを嫌っていた。
題をつけるのは杏の舞を見た後。
彼女の舞のイメージを言葉にするのだ。
それが、いつものパターン。
目まぐるしく変わっていく状況下で、変わらないもの。
ねえ、それを表したかったの?
「__雪下の蕾」
ぽつりと呟いた声に、え?と不思議そうな声が掛かる。
「雪の舞う季節から蕾が芽吹くまでの季節。寒さと冷たさに耐えた蕾は美しい花を咲かせます。雪の下は寂しくて冷たくても、雪が溶ければ報われる……。
雪下の蕾__私ならこの曲にそう名付けます。これは私の解釈ですが、私はそのつもりで舞うので、よろしくお願いします」
言いながら、杏は靴を脱いで端に避けた。
身体を動かせるスペースに移動し、楽団に背を向ける。