闇夜に笑まひの風花を
『那乃』と彼女に直接的な関係はない。
会って話したこともない。
けれど、杏に仕返しすることが、彼女の存在意義だった。
それを果たさなければ、生きる価値はないと彼女は思い込んでいた。
思い込まされていた。
必死だった。
少女から遥を奪い返そうと。
胸を妬く嫉妬は、彼女の感じた『那乃』の無念故だと思っていた。
それが彼女自身の恋情だとは気づかない。
だから、彼女が自制することはなかった。
『那乃』のためだと言い訳があるから。
__けれど。
傷つけて傷つけて、少女の仮面を剥がしてみたら。
少女の薄氷の足場を割ってみたら。
そこにあったのは、虚無だった。
寂しさだった。
哀しみだった。
秋の舞踏会のとき、どうにも気分が晴れなかったのは。
胸が痛かったのは。
それが彼女自身の本当の望みではなかったからだ、と気づいた。
ただ、本当はただ、羨ましかっただけだったのだ、と気づいた。
気づくのが……遅すぎた。
義父の怒りも、幼い頃から言い聞かされていた暗示も、なにもかもどうでも良くなっていた。
ただただ、今となっては後悔が募るだけだった。
どうして、己を信じなかったのだろう。
どうして、義父の話をただ聞き入れていたのだろう。
あの子が、あんなに寂しくて優しい少女が、進んで人を傷つけることはするはずがないのに。
少女はきっと、孤独に怯えていただけなのに。
強くなんか、なかった。
幸せになる権利を持っていたわけではなかった。
むしろ真逆だったのに。
懸命に足掻く少女から、自由も誇りもすべてを取り上げしまったのは……彼女の方だった。
でも。
でも__。
ベッドの上で、彼女は涙と嗚咽を零した。
それは、ただ後悔の念だけのものではなかった。
すべての前提が崩れると、彼女の存在意義も崩れてしまう。
幼い頃から『那乃』の無念を果たすようにと暗示にかけられていた彼女は、もう完全に迷子になっていた。
涙に濡れた葡萄が、すがるように鍵のかかった引き出しを見つめる。
それは、『那乃』が掛けたきり、開けられることのなかったもの。
彼女は濡れた頬をそのままに、ふらふらと歩いて宝石箱の一番下から、震える手で二つの鍵を取り出した。
十年もの間埃を被っていたそれは、しかし、かちりと音を立てて難なく開く。
ひとつは引き出しの鍵。
もうひとつの小さい鍵は____。