闇夜に笑まひの風花を
いや。
いや……。
ひとりぼっちはいや。
おいていかないで。

はるか、どこ?

心細さに泣きそうになった、涙を溜める大きな瞳。
伸ばした手は拙く、小さく。
闇を彷徨うには儚い存在。

おとうさま。
おかあさまぁ……。

かつて喪ったはずの者。
決して返事の返らぬその者を、そうとは疑いもせず、ひたすら闇の中で幼く短い腕を伸ばす。

温もりの残る右とは逆の手、左に触れたのは冷たさ。
そして香る、水の匂い。

目の開かない面を、そちらに向ける。
右手を包んでくれた温もりから顔を背けて、更に闇の深い方へ。

纏わりつく闇。
必死に求める幼い腕。

振り返ることはしなかった。

向かう先に、父母の声を聞いたから。

幼い四肢に絡みつく闇を、怖いとは思わなかった。

だって、その先にはお母さまが居る。
お父さまが、呼んでいる。
ひとりぼっちでは、ないから。

喜んで思わず駆け出そうとした足は、しかし、ふと足を止めた。

楽の音。
聞き覚えのある、箏の旋律。

しゃらあん。

それと合わせて響く澄んだ音は、何の音だったか。

ひらひらと虚空から降り、肌を撫でるのは、薔薇の花弁。
見えないのに、そう思った。

ふ、と。
再び右手に感じる、柔らかな温もり。
それにつられるように、後ろを振り返った。

開かない目。
閉じられた瞼の裏に見えたのは、月だった。

赤銅色の月。

怖いまでに神秘的なその様に、温かみを感じた。

だって、それと同じ色の、温かい人を知っているから。

「杏」

暗闇に聞こえる心地良い声音。
それが探していた温もりだと気づいて、闇に誘う父母に背を向けた。

右手に引かれるようにして足を進める。
絡みつく闇から逃れるように、ゆっくりと。
けれど確実に、一歩ずつ。

次第に薄れていく水の匂い、闇の気配。

随分と歩いてから、堪らなくなって濃い闇の方を振り返った。
見えない瞳には、父母の姿は映らない。

「余所見をするなよ。
ほら、転ぶぞ、杏」

杏。
その名を呼ばれる度に、纏わりつく闇が薄まる。

意識を逸らしたことを咎めるように握る力が強まる右手。
それが、まるで離さないと言っているようで、嬉しかった。
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