闇夜に笑まひの風花を
その頬をひと撫でし、やがてどちらともなく二つの唇が重なる。
閉じた瞼から、涙が頬を伝う。
それでも唇を合わせ、舌を絡め、息を継ぐ暇も与えないほどに貪り合う。
幾度も角度を変えて、空気を求めて少し離れた唇をまた重ねて、口づけは更に深く濃厚なものになる。
苦しさと切なさと哀しみが心を乱し、頭に靄がかかって、何も考えられなくなっていく。
ぎしり、とスプリングが軋む音が聞こえ、遥がベッドに体重を乗せ、彼女に覆い被さる。
それを知りながら、しかし、杏は彼を咎める気は湧かなかった。
感じるのは、遥だけ。
恋しい愛しい彼の存在だけ。
ごちゃごちゃとした理屈も強がりも、すべては靄の向こう。
ただただ、彼の温もりを感じていた。
死した者にはあり得ない、温もり。
それが、今、生きていることの証明。
彼も彼女も、今は生きている。
ひたすらにそれだけを感じ、その証明を求めて互いに互いを貪る。
ベッドに組み敷かれ、彼の首に腕を回し、噛みつくように荒々しく、それでいて優しく、諦め乾いていた心を満たすように、甘くて濃厚な口づけを繰り返す。
涙はこめかみを流れて枕に染みを作る。
彼は決して離さないというように、彼女の背を強く抱き締めていた。
どちらともなく重なった唇は、やがてどちらともなく離れた。
荒い呼吸が耳を犯す。
杏は涙に濡れ、蕩けた瞳で彼を見上げ、遥は彼女の顔の横に肘をついて彼女を見下ろした。
その赤銅色の瞳に宿る、熱い炎。
それが何を示すのか、杏は嫌というほど知っていた。
六歳の秋を皮切りに幾度となく、男たちにその炎を向けられた。
それは彼女が最も怖れるもの。
あまりに激しい情欲の炎。
遥にこの炎を向けられたことは、初めてだった。
それがなんであるかを知っていて、彼女は瞳に炎を宿していながら何かを我慢するように顔を歪める遥の頬に指を伸ばす。
淡紅の瞳を甘く蕩けさせて彼の頬を撫でる杏の胸を占めるのは、恐怖でも嫌悪でもなく、切なさ。
彼女の、赤く濡れた唇が隙間を開けて息を吸い込む。
目一杯に溜めていた涙がぽろりと、桃色に染まった頬を横切る。
吐き出した吐息は熱に侵され、彼女は男を惑わす女の色香で知らぬ間に彼を誘っていた。
甘い香りが遥の鼻腔を擽る。
熟れた唇に噛みつきたいのを堪えて、彼は彼女を見下ろしていた。
「__だめよ」
杏の声は掠れてはいたが、迷いはなかった。
それは、彼ではなく己に言い聞かせる言葉。
彼女の身体は甘く痺れ、心は切なく疼いている。
思考も甘く蕩け、まともな考えを纏めることはできない。
それでも。
「だめよ……」