闇夜に笑まひの風花を
「__杏っ」
声が、聞こえる。
知ってる人の声。
大好きな人の声。
働かない頭で誰だろう、と考える前に抱き締められた。
「ただいま、杏」
その力強い腕に、包まれた匂いに、耳もとで囁かれた声に、我に返る。
帰ってきた、愛しい人。
杏は彼の背に腕を回して抱き締める。
そして彼の胸に頬を擦り付けた。
「おかえりなさい、遥……」
掌の中にはまだアレキサンドライトのペンダントを持っている。
ハルの知らない、私の秘密。
「……ねえ、ハルは……」
「なに?」
優しい声音。
杏の柔らかい髪に顔を埋める遥。
それを口走ったのは、無意識だった。
「ハルは、私の両親の名前知ってる?」
それを問うと同時に、遥は勢いよく離れた。
「ハル?」
不思議に思って見上げた彼は、何故だか泣きそうな顔をしていた。
「杏、どうしたんだよ?
今日おかしいよ。朝は普通だったのに、なんで?
帰ってみたら目の焦点合ってないし、急に親の話するしさ……」
掌の中のペンダントが冷たい。
久しぶりにこれを出した所為だろうか?
「なんでもな__」
「なんでもないは禁止だからな」
その言葉に、杏はうっと詰まる。
何を話せばいいのか、何を話してもいいのか、分からない。
視線をおろおろさせていると、遥が杏の頭にぽんと手を置いた。
「話せないなら、話せないって言ってくれればいいよ」
下手な嘘をつかれるより、そっちの方がマシだ。
続けられる台詞に、杏は苦笑する。
本当のことは、言えない。
言わない。
でも、嘘も言わない。
うん、なんでもなくはないね。
杏は切ない微笑を浮かべる。
「ごめんね、ハル。
少し不安定だっただけなんだ。
早く、ハルに会いたかった。それだけなの……」
現実じゃないどこかで彷徨った私を、見つけてほしかったのはあなたなの……。
あなたの声が聞きたかった。
帰ってきたんだって、
あなたの傍にいるってことを証明したくて、
私はあなたに抱き締めてほしかったの。
遥に見つけてもらえたことが嬉しくて、抱き締めてくれたことが嬉しくて、杏は目を潤ませた。
夕日に染まった部屋で、潤んだ目で見上げてくる杏に遥は頬を染める。
それを隠すためにも、彼は杏の髪を掻き回した。
「ばぁか」
口はそんなことを言うが、声と瞳は蕩けそうに甘い。
「っもう!やめてよ、髪がっ__ああっ」
それが照れ隠しだと気づかない杏が彼の手から抜け出そうと四苦八苦し、やっと逃れてふと鏡に視線をやると、髪は鳥の巣のようにぼさぼさになっていた。
非難がましい目を向ける杏に彼が噴き出し、やがて二人で声を上げて笑った。