闇夜に笑まひの風花を
そんな彼女に腕を伸ばし、遥は杏を抱き込んだ。
ぎゅっと抱き締めて、彼女の耳元で囁く。

「うん。でも信じて。
一番大切なのは杏だから」

杏は素直に彼に身体を預け、その裾の端を握る。

「傷つけてごめん」

「ううん。私こそ、ひどい態度とってごめんなさい」

いいよ、という許しの代わりに、遥は杏の髪に顔を埋める。
彼の温もりに、彼女はほっと息を吐いた。

誤解だった。
たったそれだけの事実で、心に溜まっていた鉛が消えていく。
胸が軽くなる。
その代わりに満たすのは、遥への愛しさ。

杏は鼻で息を吸い込む。
彼の匂いが肺を満たした。
離れたくない。

恋って不思議……。

「……あれ?」

不意に、杏の髪に口づけていた遥が顔を上げた。
何だろうと杏も抱き込まれたまま、顔だけで見上げた。

「でもあれを見たってことは、その頃にはもう帰る途中だったってことだろ?
なんであんなに遅くなったんだ?」

遥が帰ろうとしたのが夕闇の頃。
杏を見つけたのは夜半すぎだ。
六時間もの空白。

それを尋ねられ、杏はわずかに頬を染めた。
勘違いだと分かったあとで白状するのは、些か恥ずかしい。

「えっと……学校の大きな稽古場で時間忘れて踊ってて、慌てて帰ってたらあれ見ちゃって、それで……な、泣いてた……」

「あんなに目が腫れるまで?」

案の定、遥は目を丸くした。

たくさん泣いて目が腫れ、家に帰れずに夜中まで外に居たのが自分の所為だと言う。
遥の中に一つの可能性が浮かんだ。

自惚れてもいいのなら、きっと……。

「なあ、杏。なんでそんなに__」

ピーンポーン。

__ちょうど良いところで邪魔が入る。

遥はこんな時間に来た邪魔者に腹を立て、タイミングを逃してしまったことに落胆する。
心中でこっそりと溜息を零し、涙を拭った。

その間に杏が階下に聞こえるように返事をし、降りようとする彼女の肩を掴んで戻した。

「俺が出る。
杏、俺が帰ってくる前に、それ直しとけよ」

びしり、と差された指は杏の胸元を示していた。
そこに目線を向けて、彼女は真っ赤になる。

「きゃああ!?」

昨夜にはだけたまま胸元はリボンが解け、あられもない状態だった。
痣のあるアンダーバストのところまで露わになり、胸も半分くらい白い肌が見えていた。
胸元の切れ込みが割合浅く、布が肩に引っかかっていたのが唯一の救いだった。

杏は慌てて胸元のリボンを結ぶ。
そして、熱くなった頬を冷やそうとした。

以前、那乃に着替え見られたらどうするの、と訊かれ、あっさりと気にしないよ、と答えたが、今は気しないわけにはいかない。

恥ずかしい……。

恥ずかしさに消えてしまいたくなりながら、杏は彼が帰ってくる前に忘れようと必死になるのだった。
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