闇夜に笑まひの風花を
「来たか」

大広間に通じる扉の前で、裕が悠々と立っていた。
杏を見つけると片手を払う仕草をし、周りの使用人を解散させる。
杏が彼の傍に来たときには、彼女と裕の他は扉の開閉をする兵が二人のみだった。

「殿下。私と踊るなど、本気でございますか?」

杏の言葉に、裕は呆れたように肩を竦めた。

「ここまで来て冗談を言うと思うか?」

「しかし、殿下のお相手は婚約者様なのでは?
那乃に怒られます」

「気にせずとも良い。あれは、私に恋をしていないからな」

杏にだけ聞こえる声でそう言ったとき、裕は微笑を浮かべていた。
そして杏が何かを言う前に、彼女の前に手を差し出した。

「時間が押している。行くぞ」

有無を言わせない口調に杏は押し黙り、彼の掌の上に手を置いた。
軽く置いたその指を軽く握り、裕は杏の耳元で囁く。

「お前の初仕事だと思え」

その言葉が終わると同時に扉が開かれ、中から喧騒が漏れる。
杏は背筋を伸ばし、毅然と立った。
光が溢れる先を、見つめる。

そして、楽団がファンファーレを鳴らした。

人々の注意が彼らに向けられる。
二人は示し合わせたわけではないのに、同時に足を踏み出した。

杏は知らないが、王族が特に気に入った姫は、王もしくは王子の相手を務める。
それはとてつもなく名誉なことであり、時折舞姫が彼らと婚姻を結ぶことすらあるほどだった。
ほぼ毎年舞姫が選ばれる中で、しかし王族の方と踊る姫は、ここ十年ほど皆無だった。

杏を見た彼らは、感嘆の溜息を吐いた。
__ただ二人を除いて。
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