闇夜に笑まひの風花を
*****

時は少し遡る。
翡苑によって、貴族たちから逃れたすぐ後のことだ。

翡苑と呼ばれた銀髪の男とは、教師に呼び止められる前に別れた。
突然現れて遥と親しげに話していたが、どういう人なのだろう、と杏は一人首を傾げる。

聖華学園の教師に呼ばれた彼女らは、大広間から一時退散していた。
そこで告げられたのが、もう一曲踊ってみないか、というものだった。

杏は戸惑い、目を瞬く。

舞踏会で踊るのは一度で良いと聞いていたはずだけど……。

例えば、たくさんの花姫の中から二人までは絞れたけれど一人に決めるために、もう一度踊って競い合う、ということなら簡単に分かるのだが。

「どうやらあなたの舞が気に入ったらしくてね。もう一度、今度は一人きりで舞う姿が見たいそうなの。
あなたが舞姫に選ばれたのはもう決定事項だろうから、息抜きみたいな感じで一曲、どう?」

教師は無邪気に喜んでいる。
きっと、自分の育てた生徒がたくさんの人たちに認められて嬉しいのだろう。

けれど、"一人きりで"というところに悪意を感じてしまうのは、考えすぎだろうか。

『パートナーを遥様が務めてくださったから、うまく誤魔化せてるだけのくせにっ!』

そう叫んだ那乃を思い出す。
考えたくはないが、那乃の父に頼んでも杏の舞姫決定が覆らないと見て、彼女に大失敗をさせて幻滅させようという魂胆かもしれない。

ズキリ、と痛んだのは、心ではなく足だった。

遥は彼女より一歩前に進み出て、教師の提案に即答する。

「申し訳ありません。彼女は今足を__」

「慎んで承りますわ、先生」

遥の言葉を遮って、杏は笑った。
何かを言おうとする遥を目で制止する。
教師に気づかれない程度に、杏は彼に向けて小さく頭を振った。

杏の作り笑顔と返答に満足した教師は、ご機嫌で大広間に入っていく。
おそらく、頼まれた人への報告と楽団との打ち合わせのためだ。
杏はそれを無表情で見送った。

「ちょ、こっち来い」

そう言って遥は杏の腕を引っ張って、大広間から離れた。
彼はどんどん城の中に入り込んでいく。
手首を掴む手は離さないと言っているように力強かったが、杏に気遣ってか歩幅は狭く、ひどくゆっくりだった。

「遥?ねえどうしたの?
あんまりお城の中を歩き回ってると怒られるよ?」

幾ら声を掛けても、遥は杏に答えない。
そして、遥は彼女の手を引いたまま、一つの部屋の中に入った。
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