闇夜に笑まひの風花を
*****

「杏」

呼ぶのは、遥。
甘い響きの、耳に心地よい声。

「風邪引くよ」

ふわり、と上着が掛けられた。
それの前を胸元に引き寄せて、杏はまた天を見上げる。

シャラ、と髪に刺さった簪が音を立てた。

それを見て、遥は眉間に皺を寄せる。

杏の夢が一歩前進した証拠。
喜ぶべき証なのに。
けれど、裕が彼女の髪に触れたことが気に入らない。

……って、ガキか、俺は。

子供っぽい嫉妬だということは分かっている。
そして、幼馴染という立場は、嫉妬が許される関係ではないことも。

それなのに。
大切な人だと公言して、閉じ込めておきたい、なんて。

「ねぇ、ハル」

天を見上げたまま、杏が隣に佇む遥に呟く。
ひどく頼りない声音だった。

「私、明日この家を出るわ」

「は、明日?」

あまりに急な話に、遥は間抜けな声を出した。

「殿下に言われたのよ。早めに城に来るように、って……」

殿下__それは、仕える者の呼び方だ。

杏が舞姫になれば王城に上がるって、分かっていたことじゃないか。

今まで彼女が舞姫になることを応援していたのに、どうして彼女が裕の傍に行くと思うと、こうも胸がざわつくのだろう。

行くな、と言いたくなる。
胸が苦しかった。

それでも、それを言うことはできない。

「杏、まだ祝いの言葉を言ってなかったな。
おめでとう」

「……うん……」

杏は、彼に視線を移して、泣きそうに笑った。
彼女の瞳に揺れるのは、嬉しさではなく哀しさだった。
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