闇夜に笑まひの風花を
どれくらい経ったのか、杏にはもう分からなくなっていた。
それでもキスの嵐は止まなかった。

杏は止まらない涙に濡れた瞳で、遥を見上げる。
優しい色が、そこにあった。

額に、彼の唇が落ちる。
腫れた瞼に、赤くなった鼻に。

杏は目を閉じる。
世界が暗闇に包まれる。

目尻から滲む涙を舐めとった唇。
遥の指を頬に感じた。
そのまま項に回って、髪を掻き分けて後頭部を支えられる。

遥が何をしようとしているのか、予感はあった。
告白されたのに答えないなんて、ズルいのは分かっていた。

それでも、杏は目を閉じた。

絶対に応えられない。
彼に愛されるわけにはいかない。

でも、心は止まらない。

遥の顔が近づくのが分かって、吐息が絡んだ。
唇に触れるのは、柔らかな感触。
かすかに震えている。
きっと、自分も震えている。

杏のファーストキス。

遥はゆっくりと離れた。
それでも、杏の瞼が閉じられたままなのを知ると、もう一度口づけた。
今度は、少しだけ深く。
時間も少しだけ長く。

角度を変えて幾度も繰り返す。

溢れた想いが、愛しさが、触れたところから相手に伝わる。
吐息と一緒に注ぎ込まれる。
言葉にできないこの想い。
彼の、彼女の心に溶けて、混ざる。

蕩けれたらいいのに、と思う。
そうしたら、彼に一欠片だけでも残せるかもしれない。
彼の心に混ざり込めるかもしれない。
言葉にできないこの想いを、伝えられるかもしれない。

彼の幸せを考えるなら、伝えない方がいいはずの想い。
それはこんなにも大きくて、溢れてしまうのを止められない。

彼の指が、髪を梳いてくれる。

杏の唇を遥の舌が擽る。
求められるまま、彼女は唇を薄く開いた。
そこに入り込む、舌。
まるでいたずらするように口内を探って、舌先が絡む。

甘い、味がした。

唇を擦り合わせながらゆっくりと顔の角度を変える。
唇を、舌先を吸うと、切なくも甘い吐息が唇の隙間から零れた。

杏の彼の服の裾を握っていた指から力が抜ける。
彼女は、一度も瞳を開けなかった。

やがて、離れた唇。
額がこつりと合わさって、やっと杏は瞼を開いた。
現れた淡紅の瞳はやはり涙で濡れていて、目尻から零れた雫を遥は指先で拭う。

「……ごめ、なさ……っ」

どうして、彼女はこんなときにまで謝るのだろう。

「杏、大丈夫。分かってるから、ちゃんと」

頬に触れて瞳を見つめて。
それでも、杏の涙は止まらなかった。

月だけが光っている夜に、哀しい声が響く__。

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