桜ものがたり
 紫乃の料理は、天下一品。

 食する人の気持ちに添って食卓に並べられた。

 紫乃の口癖は『お料理はこころの匙加減で決まります』だった。

「はい。光祐さまは、驚くほどご立派になられてございます。

まぁ、光祐さまのお好きなタルトでございますね」

祐里がお盆を抱えると甘酸っぱい苺の香りに包まれた。

 紫乃の畑で採れた春の香り。

 居間では、奥さまと光祐さまが、長椅子に並んで腰かけて、にこやかに

話をしていた。

 その様子に(奥さまのしあわせ溢れる笑顔は、本当に久しぶりでございます。

 光祐さまがいらっしゃるとお屋敷の中が光り輝くようでございます)

と祐里は感じ入った。

「坊ちゃま、お帰りなさいませ」

 紫乃は、朗らかな笑顔を光祐さまに向け、香り高い紅茶を家紋の意匠が

凝らされた紅茶茶碗に注いだ。

 紅茶から立ち上る白い湯気とベルガモットの香りが、しあわせな時間を演出する。

「婆や、ただいま。婆やのご馳走を楽しみに帰ってきたよ」

 光祐さまは、変わらない紫乃のゆったりとした笑顔に生家に帰ってきた

安らぎを実感した。

「まぁ、嬉しゅうございます。坊ちゃまのために腕に縒りをかけてお作り

致します。紫乃にお任せくださいませ」

 お屋敷は、光祐さまの帰省で、陽だまりの暖かさに包まれていた。
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