桜ものがたり
「光祐、ここにいたのかね。

 それから、祐里。昼食会には、取引銀行の榛様とご子息をご招待しているから、

失礼のないように正式な服装で席に着きなさい。

 そうだね、祐里は、華やかになるから振り袖を着るように。

 紫乃、言い忘れていたが、お客様は、三名様だ」

 旦那さまは、光祐さまと祐里の顔をしっかり見据えていった。

 光祐さまと祐里が楽しそうに一緒にいる姿は、子どもの頃から変わらず

微笑ましく、奥さまに反対された後の暗い気分が和(やわ)らぐように感じられた。

「はい、父上さま」

 光祐さまは、台所に居ることで、旦那さまからお叱りを受けるのではないかと一瞬たじろいだ。

「はい、旦那さま、畏まりました」

 光祐さまと祐里は、旦那さまに返事をして顔を見合わせる。

「旦那さま、畏まりました。お客様は、三名様でございますね」

 紫乃は、来客用の食器を納戸から出さなければと考えながら、旦那さまに応えた。

「祐里さま、ここはもうよろしゅうございますから、お支度をされてくださいませ」

紫乃は、内輪(うちわ)の昼食会だと思い込んでいたので、怪訝な顔で

祐里を促した。

「はい、紫乃さん。後はよろしくお願いいたします」


 祐里は、自室に戻り箪笥から振り袖を取り出して衣紋掛けに掛けた。

 奥さまが桜河家へ嫁入りの時に持参した振り袖は、桜色地に満開の桜文様が

総刺繍で施された逸品(奥さまの母上さまがその一部をご自身で刺繍された

想い入れの御品)で、先日の晩餐会に旦那さまの御供をすることになって、

奥さまから賜った振り袖だった。

 衣紋掛けに掛けられた振り袖は、春爛漫を描いた屏風絵のように

祐里の部屋を晴れやかにする。

 祐里は、胸騒ぎを覚えながらも、光祐さまに振り袖姿を見ていただけると

思うと胸の内がくすぐったく、ほんのりとするのだった。
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