桜ものがたり
 祐里の部屋の扉が軽やかに叩かれた。

 祐里が「はい」と返事をして扉を開けた途端に、華やかな薫子奥さまの
笑顔が飛び込んできた。

「祐里さん、今し方電報が届いて、光祐さんが春の休暇で、三年ぶりに帰っ
ていらっしゃるの。森尾と一緒に駅までお迎えに行っていただけるかしら」

 貧血気味の奥さまは、透き通るような色白の肌の持ち主。まるで、大切に育てられた薔薇のようなお方。

 一人息子の光祐さまが帰省されるので、あまりの嬉しさに色白の肌が上気して、頬が薔薇色に輝いて見えた。

「光祐さまがお帰りになられるのでございますか。 はい、すぐに参ります」

三年ぶりに帰省される光祐さま。お便りのみの三年間は、長い冬のようで、どんなにお会いしたかった事か…… 祐里の心は、春の陽射しに包まれた。

「今夜は、光祐さんの好物を紫乃に揃えてもらいましょうね。

駅に行く途中に魚桜で特別なお魚を注文してくださいね。森尾が玄関に車を廻していますからお願いします」

「はい、奥さま、畏まりました」

 祐里は、お気に入りの桜色のワンピースに着替えて、若葉色のカーディガンを羽織ると玄関へ急いだ。

 玄関を出ると、春の陽射しが光祐さまの帰りを祝すように祐里を包み込む。祐里の長い黒髪と色白の肌に桜色のワンピースが映えて、一足早い桜満開の雰囲気を辺り一面に醸し出した。

「森尾さん、お待たせいたしました。途中、魚桜に寄ってくださいませ」

 奥さま専属運転士の森尾守は、祐里の出で立ちに目を細め、後部扉を開けて車に招き入れた。

 祐里は、車に乗りこみ、光祐さまのいなくなったこの六年間に思いを馳せる。淋しくても元気に振る舞い、少しでも光祐さまの代わりに、旦那さまと奥さまが淋しくないようにと配慮した。
 光祐さまの帰省に嬉しくて涙が込み上げそうになり、何度も微笑みながら瞬きをして、白いハンカチで涙を押さえた。

「祐里さま、ようやく、光祐坊ちゃまがお帰りでございますね」

 森尾は、祐里の嬉し涙を察し、しばらくしてから声をかけた。
「はい、言葉にならないくらい嬉しゅうございます」

 祐里は、満面の笑顔を森尾に向けた。森尾は、祐里の華やいだ気持ちを受けて、桜川の土手沿いに車を快く走らせた。  

 途中で寄った魚桜では、店主が祐里の顔を見るなり、活きのよい真鯛を掲げて見せた。

「光祐さまがお帰りでございますの」

 祐里は、車の窓から顔を出して、店主に笑顔を向ける。

「それは、祐里さま、お祝いでございますね。すぐにお届けいたします」

 店主は、鉢巻を締め直した。

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