桜ものがたり
 駅前に車を駐車して、改札口を出ると、遠くから列車の汽笛が聞こえてきた。
 
 祐里と森尾は、線路の先を見つめ、列車が接近する音と心臓の音が呼応するのを

心地よく感じていた。

 定刻通りに列車が到着し、駅員が「さくらかわ~、さくらかわ~」と

駅名を呼称する中、下車する乗客の一番後ろから光祐さまの姿が見える。

 光祐さまは、祐里が想像していた以上に長身になり、長旅の疲れも見せずに、

爽やかな笑顔で列車から降り立った。

「祐里。帰ったよ」

 光祐さまは、下車した乗客が足早に去った長閑な二番線に佇む祐里を見つめ、

優しい声で包み込んだ。

 祐里の色白ながらも上気して桜色に染まった頬の健やかな表情に引き寄せられた。

「光祐さま。お帰りなさいませ」

 祐里は、お辞儀をした後に、光祐さまのきらきらと眩しい姿を仰ぎ見て、

例えようがないくらい胸がしあわせでいっぱいになった。

「光祐坊ちゃま、お帰りなさいませ。ご立派になられて、

爺は、嬉しゅう御座います」

 森尾は、深々とお辞儀をして、涙ながらに光祐さまの重い鞄を受け取った。

「ただいま。爺も、元気そうで何よりだ。

 ぼくは、祐里と散歩しながら家に戻るから、爺は先に帰って母上さまに

無事に着いたことを知らせておくれ」

 光祐さまは、森尾に優しいまなざしを向けながら、上着のポケットから

蜂蜜飴の缶を取り出して、森尾に手渡した。

「爺、土産の蜂蜜飴だよ」

 光祐さまのまなざしは、森尾のこころに甘く沁み渡る。光祐さまは、帰省の度に、

森尾の喉が弱いことを配慮して、蜂蜜飴を持ち帰った。

「光祐坊ちゃま、誠に有難うございます。それでは、先に戻りまして、

奥さまにお伝え申し上げます。

どうぞ、光祐坊ちゃま、祐里さま、どうぞ気を付けてお帰りくださいませ」

 森尾は、光祐さまと祐里に深々とお辞儀をすると、車に乗り込んでお屋敷へ

戻って行った。
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