桜ものがたり
光祐さまは、心がすっきりとしないながらも、できる限り祐里を側に呼んで、

二人の時間を大切に過ごした。

 夜明けとともに、紫乃が丹精込めて作っている畑の水撒きに出かけた

光祐さまは、如雨露(じょうろ)の水を大きく振り回し、朝日に煌(きらめ)く

雫(しずく)の宝石を纏(まと)う祐里の美しさにしばし見惚(みと)れていた。

「光祐さま、冷とうございます」

 祐里は、髪を伝う雫を手の甲で受けて困った顔をして微笑んだ。

『ぼくは、絶対に祐里を守るからね』という光祐さまの力強い言葉を信じて、

光祐さまに寄り添ってしあわせな時間を噛み締めていた。

「ごめんよ、祐里。さぁ、拭いてあげよう」

 光祐さまは、祐里を引き寄せ、祐里の香りに包まれる。

「ありがとうございます。光祐さま」

 光祐さまは、手拭いで水滴を拭きながら、祐里と共有するしあわせを感じていた。

 祐里は、光祐さまに見守られて、ますます美しく輝いていた。


 日本庭園の池では、祐里が側に寄るだけで鯉が餌を催促して集まり、

その頭上では小鳥が囀っていた。

 光祐さまは、小学生の頃に祐里と散歩の途中で、野犬に出遭った時のことを

思い出していた。

 牙を鳴らして跳びかかろうとする野犬に、祐里は、手を差し出して

手懐けた事があった。

 光祐さまは(祐里は、本当に万物(ばんぶつ)から好かれるものだ)

と感心して、祐里の無邪気な横顔を見つめていた。

 その二人の楽しそうな様子を奥さまはお屋敷の窓から、紫乃は台所の窓から、

微笑ましく見守っていた。

お屋敷には、仲睦まじい光祐さまと祐里の若々しく明るい声が満ちていた。

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